故・皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』は一番の入門書

皆川達夫氏の新書『バロック音楽』と昭和の思い出

昨年4月、92歳で亡くなった音楽学者・皆川達夫氏。NHKラジオ第1放送の「音楽の泉」(1988年〜2020年放送)で、亡くなる直前まで32年間に渡って「お話」=解説を担当されていたので、日本のクラシック音楽ファンの間でおなじみの存在でした。

私が氏のお声をラジオでよく聴いていたのは、10代だった1980年代前半、NHK FMの朝6時から放送されていた「バロック音楽のたのしみ」(1965年度〜1985年度放送)でした。今のようにアップルミュージックやスポティファイといった定額音楽サービスがなかった時代だったので、週刊誌「FMファン」でプログラムを確認して、ラジカセでカセットテープにお目当ての曲を録音したものでした。

お目当ての楽曲・作曲家について調べる際、お手頃なガイドブックが、皆川達夫氏の新書『バロック音楽』(講談社現代新書)でした。バロック音楽をわかりやすく概観しており、私は作曲家名や聴きどころを鉛筆で直線・波線を引いて、しばしばチェックしていました。これまで読んだ数ある音楽書の中でも“使い切った一冊”でした。

皆川達夫『バロック音楽』(講談社現代新書)
左が『バロック音楽』(講談社現代新書)1981年第21刷。右は電子書籍『中世・ルネサンスの音楽』(講談社学術文庫)

姉妹書ともいえる『中世・ルネサンスの音楽』(講談社現代新書)も図書館で借りて読みましたが、『バロック音楽』に比べると今ひとつ印象に残っていません。バロック音楽の楽曲比べると放送される機会が少なかった上、教会の典礼音楽が中心なので、今ひとつ興味が持てなかったのかもしれません。

『中世・ルネサンスの音楽』を電子書籍と定額制音楽サービスで楽しむ

さて、このところバロック以前の中世・ルネサンスの音楽に興味があり、改めて皆川達夫氏の『中世・ルネサンスの音楽』を読み直しました。

なんといっても皆川氏のホームグラウンドは中世・ルネサンスの音楽。これらの研究により、イタリア共和国から功労勲章(カヴァリエーレ勲章)を受章されています。

講談社現代新書の『バロック音楽』『中世・ルネサンスの音楽』は絶版になっていますが、内容を改訂の上、現在は講談社学術文庫として発行されていました。

皆川達夫『中世・ルネサンスの音楽』(講談社学術文庫)

なぜか『中世・ルネサンスの音楽』は電子書籍化されていますが、『バロック音楽』は紙の本のみ。早速、『中世・ルネサンスの音楽』をダウンロード。

やはり、中世・ルネサンス音楽の入門書として最適の一冊です。

下が目次。

  • 中世・ルネサンス音楽の楽しみ──序にかえて
  • 第一章 キリスト教と音楽
    1. 古代の音楽
    2. 神への賛歌──東方教会聖歌
    3. グレゴリオ聖歌の成立
  • 第二章 中世世俗音楽の隆盛
    1. 自由な創作、新しい旋律
    2. 典礼劇
    3. 吟遊詩人の歌
  • 第三章 多声音楽の展開
    1. 多声音楽の起源
    2. グレゴリオ聖歌の装飾
    3. ノートル・ダム楽派
  • 第四章 新しい芸術の誕生
    1. 都市と合理主義が生んだ音楽
    2. アルス・ノヴァの音楽家
    3. 生命感あふれるイタリア歌曲
    4. キャロルを生んだイギリス音楽
  • 第五章 ルネサンス音楽を作った作曲家たち
    1. ダンスタブルの貢献
    2. ブルゴーニュ楽派
    3. フランドル楽派
    4. ルネサンス音楽とは
  • 第六章 ルネサンス音楽の拡がり──イタリア・フランス
    1. マドリガーレの国──イタリア
    2. シャンソンの繁栄──フランス
  • 第七章 宗教改革のはざまで──スペイン・ドイツ・イギリス
    1. 器楽音楽の繁栄──スペイン
    2. 音楽を変えた宗教改革──ドイツ
    3. 〈涙のパヴァーヌ〉を生み出した国──イギリス
  • 日本と中世・ルネサンス音楽──結び

西暦でいうと、第一章〜第四章が中世編で7世紀から15世紀までざっと800年間。第五章〜第七章がルネサンス編で16世紀から17世紀初頭までの約120年間に分かれます。

J.S.バッハとヘンデル、スカルラッティは1685年生まれの同い年。クラシック音楽ファンは18世紀から20世紀末の300年間くらいの音楽に親しんでいるわけですが、それ以前に900年間近い音楽の歴史があり、この未知の世界は気になりませんか?

その多くは記録・楽譜として残されていません。残されていても、いったいどのように演奏されていたかは伺いしれません。それでも、古代の遺跡に立ち往時の生活に思いを馳せるように、遠い過去の響きに耳をそばだててみたい、私はそんな欲求が人一倍大きいです。

10代と違って、今は、アップルミュージック、スポティファイ等、便利な定額制音楽聴き放題サービスがあります。子供の頃なら、中世のLPレコードを求めて専門店に足を運び、購入できたとしても高校生の小遣いでは月に1枚ほどでした。今なら皆川氏のガイドブックを読みながら、作曲家名・楽曲名を検索すれば、古楽器での演奏をすぐに確認することができます。

なんて、いい時代になったのでしょう。

本から学んだ中世の西洋音楽のポイント4つ

さて、私がこの本の中でアンダーラインを引いた箇所を4つほどピックアップ。

なぜ、中世キリスト教会で音楽が重視されたのか?

神は人間の前には目で見える姿で、現われない。しかし、それに代わって、神はみずからの意志を言葉をもって語り、人はその神の言葉を耳を通して聞くのである。ここでは、目で見るのではなく、耳から聴くという関係が重視される。(中略)音楽が神の秩序や摂理を証するものである以上、キリスト教会にとってもっとも重要な芸術であり、したがって、人間が神に祈り、神を賛美するためには、美しい絵画を描くより、壮大な建築を築くより、まず音楽をささげるのが適切とされた。

聖歌は「天国で天使たちが神の御前で歌う賛歌の模倣」とされたので、古来、キリスト教の教会では「歌うこと」が重要視された(カルヴァン派を除く)。すぐれた宗教音楽を作り上げた理由がここにあると。

グレゴリオ聖歌について

グレゴリオ聖歌の名は、前にあげたローマ教皇グレゴリウス一世にちなんでいるわけだが、この教皇が聖歌の形成に大きな役割を果たしたことは確かであっても、今日歌われている形でのグレゴリオ聖歌が、この教皇の創始ないし編纂によるものであるという歴史的根拠はない。また、現行のグレゴリオ聖歌の旋律がこの教皇の時代──つまり七世紀初頭にまでさかのぼると断定しうる証拠もない。

名称が「グレゴリオ聖歌」なので、あたかもグレゴリウス一世が編纂したように思いがち。実際にはユダヤ教聖歌やギリシャ、東方諸教会の影響を受けながら、徐々に形成されていったこと。なので「ローマ教会聖歌」と呼んだ方が妥当だそうです。

中世の世俗曲はなぜ失われてしまったのか

職業芸能人であったジョングルールにしてみれば、彼らの生活の資である大切なレパートリーを、わざわざ楽譜に書きとめて、自分の芸を他人に盗ませるような愚を犯すはずはなかった。中世の器楽曲の楽譜は、今日ごくわずかしか残されていない。それは器楽音楽が不振であったからではけっしてない。器楽演奏を生業としたジョングルールたちがその芸を公共のものにすることを好まなかったからであり、また器楽演奏は当時は即興によるのが本来で、記譜の対象にはされなかったからである。

また、当時、音楽について記録を残したり、楽譜に書きとめることができるのは、主として教会関係者と上流の知識層に限られていたことも大きな理由でした。

ポリフォニーの成立を考える

単旋律の音楽が先にあって、その発展の結果としてその後に多声音楽が生まれるものだろうか。かならずしもそうとは言い切れない。合唱の経験を少しでももつ人なら、斉唱で歌うことの難しさを身にしみて感じているはずである。単旋律──全員で同一の旋律線を歌うことの方が、多声的に歌うよりはるかに音楽的に洗練されたものであることも、場合によってはありうる。

音楽の歴史を振り返るとき、単純なものから複雑なものへ、未熟なものから完成したものへ発展していく、そんな直線的な発達をイメージしがち。私も単旋律からポリフォニーの方が「進化した音楽」と思い込んでいました。これは落とし穴ですね。


以上、中世部分をベースに私の学びをまとめましたが、ルネサンス以降の音楽についても興味深いトピックが多数あります。フランスにおけるアルスノヴァの成立、フランドル楽派の隆盛、ベネツィアの繁栄と音楽の関係、そしてバロックへの流れ。それらが具体的な作曲家の活躍と共に解説されています。

中世・ルネサンスの音楽は今後も追いかけていきたいです。


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