感想/ V.アファナシエフ『ピアニストは語る』(前編)
先日9月に発刊したロシア出身のピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフのインタビュー集『ピアニストは語る』(講談社現代新書)を読んだ。
“鬼才”と称されるアファナシエフ、私は生の演奏を聴いたことがない。ただ、いくつか聴いたアルバム、よくいえば個性的、悪くいえば癖があって、楽曲によって好き嫌いが分かれる。
一番好きなのは、ブラームスの後期作品集、中でも「6つのピアノ曲 作品118」は、彼特有の渋みとメランコリーが漂い、得も言われぬ魅力あり。強拍と弱拍のコントラストがまばゆいシューマンの「クライスレリアーナ」も、グールドの「ゴールドベルク変奏曲」を初めて聴いたときのような衝撃を感じた。
一方、ショパンのノクターンやマズルカは、アクが強くてちょっと苦手かな。好き嫌いはあるが、一度耳にしたら忘れられない、強烈な光彩を放つ演奏をするピアニストであることは間違いない。
さて、この本、前半はソ連時代の半生について語る「人生」の部、後半はピアノとの向き合い方について話した「音楽」の部となっている。
後半の「音楽」の部は、ピアノを弾く上で示唆に富む金言にあふれている。ちょうど埼玉ピアノコンクールの本選前で、とても影響を受けたので、いくつかの言葉をピックアップ。
自身の内なる耳で曲を聴く。レコードをかけるのではありません。頭のなかで楽譜を弾くのです。時にこれはとても有益な方法になります。
今回、本番前の一週間はピアノを弾いて練習するのではなく、なるだけピアノを前にせず、頭のなかで弾く練習をした。この練習で響きが体の中で再現できるようになり、また、暗譜落ちの恐怖はずいぶんと和らいだ。
練習をしすぎると、むしろ自家中毒に陥る危険性があります。(中略)あまり練習しすぎると、曲に飽きてしまいます。そして飽きてしまえば、演奏家としてはおしまいです。
よい演奏のための練習が、いつもまにか練習のための練習になってしまうことがこれまであった。
ピアノを弾くときには、ただ飛び立つようにするだけでよいのです。音楽はすぐそこにあるのですから、軽く叩くようにして、そっと起こしてやればいい。
ピアノの前に座ってこれから演奏しようとするときの心構えとして、とても参考になる。
コンサートホール自体が演奏している感じです。これは大切な感覚
目の前のグランドピアノを弾くというより、ホールをどう響くかせるかを考えないと(実際にはそんな余裕はないが)
厳格なる自由――私は自分のアプローチをそう性格づけています。“ルバート(自由なテンポ)”は決して律動を失うべきでない。
「厳格なる自由」とは、これは名言!
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