感想/映画『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』
マルタ・アルゲリッチのドキュメンタリー映画、「観に行かねば、観に行かねば」と思いつつ、渋谷のBunkamura「ル・シネマ」での最終日、最後の時間に間に合った。
感想を一言でいうと、「天才とは、巨大な欠落である」だろうか。誰かが言ったそんな言葉を再認識した。
少女のままの老女が印象的だった
ロールプレイングゲームを始める際、最初のプレイヤー設定で、あらかじめ与えられた数値を、武力、知力、体力、運など、自由に能力値として割り当てることができるものがある。往年の「ウィザードリィ」のようなゲームだ。
どのプレイヤーを選んでも、能力値の合計はあまり変わらない。ただ、どれだけ経験を積むかによって、能力値の合計は増えていく。ヒトも基本的に身体的なスペックが同じならば、能力値の合計はそんなに変わるものではないのだろう(経験という変数を加えない限りにおいて)。
とすると、天才とは、何かの能力だけが突出して偏ったヒトじゃないだろうか。この映画のアルゲリッチを見て、普段、なんとなく感じていることが確信に変わった。
まぎれもなく天才ピアニストである。ただ、社会的なバランス感覚を持つことなく、ピアニストとしての才能のみ経験により進化し、73歳になった(なってしまった)のだろう。10代から驚くほどに変わらない彼女の表情や仕草が、何よりも印象的だった。
「音楽」でなく「家族」を描いた作品である
撮影と監督は、彼女の三女ステファニー。娘視線で見た親のドキュメンタリーという点では、砂田麻美監督の『エンディングノート』に近いかも。淡々とした日常をカメラは追いかけ、極力、演出的な要素を抑えてある。なので、『アルゲリッチ 私こそ、音楽!』というプローモーショナルな邦題には強い違和感があった。むしろ「天才ピアニストの素顔 アルゲリッチ」くらいの方が内容にマッチしていると思う。
ロバート・チェン、シャルル・デュトワ、スティーヴン・コヴァセヴィチと三度の結婚、別居、離婚。父親が異なる三人の娘。いまの日本の一般常識からすると「複雑な家庭」になる。ただ、この映画の素晴らしいところは、幸せ、不幸せという価値観を超えた「家族のリアル」を直球で観る者に投げつけてくる点だ。
作品の中で、これまで交際した男性や子供との関係について、何度もアルゲリッチは「ひとことで言えない」「言葉にできない」という言葉を口にする。実際、喜怒哀楽をはらんだ言葉にできないもの、それが血のつながりなのだろう。そして、言葉にできないもの=「音楽もそういうものでしょう」とも。
この映画に音楽を期待して出かけると、たぶん失望するだろう。私の門下のパパが「小さな娘を連れて家族で出かけました」とFacebookにコメントいただいたが、小さな子供にはかなりヘヴィな(もしくは難しい)映画だったに違いない。
ただ、家族や血のつながりによる人間関係のあり方、可能性という点では、とても興味深いドキュメンタリーだった。
以下は蛇足だが、彼女のような一流天才ピアニストでも、本番前は控え室や舞台袖で、やれ「今日は体調が悪い」「弾きたくない」「演目がよくない」と不安定になる姿が、私にとっては救いだった。「あのアルゲリッチでさえ、本番前は不安になるのだ」と。
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