感想/心に染みた!弘中孝ピアノリサイタル
大人になってよかったこと。それは、本にしろCDにしろコンサートにしろ、思いつきで買い物ができること。もちろん、10万円以上の買い物はスペック等を吟味するけれど、5000円以下の本、CD、コンサートチケットは、直感重視で買い物することが多い。
で、なぜか、仕事がてんばってくると、衝動買いが増える。私の仕事の繁忙期とアマゾンの月次購買金額は、きっときれいに比例しているはず。
昨夜、出かけた弘中孝氏のピアノリサイタルも、そんな繁忙期の衝動買いだ。氏については、「大御所男性ピアニストでどこかの音大教授」くらいの記憶しかなかった。
なぜ、このコンサートに出かけようと思ったか? まず、曲目が重厚で玄人好みだったこと。
ブラームス/3つの間奏曲 Op.117
ブラームス/ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ Op.24
シューマン/交響的練習曲 Op.13
ドイツロマン派メインストリーム、重い直球で三球三振を狙いにいくようなメニューだ。
あと、チラシの氏の顔写真がミステリアスだったから(下の写真)。
たいていクラシックピアニストの顔写真って三つに分けられる。
1)笑顔でこっちを向いている図。
2)ピアノを熱演中の横顔図。
3)写真の斜め上の隅に、塀の上でたたずんでいるネコがいて、「あら、ネコと視線が合っちゃった」って感じでニコっと微笑む図。
その点、氏の写真はどのカテゴリにも当てはまらない。ピアノの前に座っているんだけど、弾いているわけじゃない。こっちを見ているのだけど、笑ったり、キリっとしているわけでもない。ちょっと困っているように見えなくもない。
不思議な魅力をたたえるポートレートに惹かれたのが、昨夜のリサイタルに出かけたもう一つの理由だ。
前置きが長くなった。
昨日は取引先での会議が6時すぎに終了。会社には帰らず、その足でリサイタル会場の浜離宮朝日ホールに向かった。会場には、6時30分に到着。
ホールへ向かう観客が、なんか想像していた客層と違うなと思ったら、同じビルの一階でサントリーの「1万人の第九」のレッスンが行われていた。東京音大の教授なので、門下、元門下っぽい女性が多いのではとイメージしていたら、やはりロビーはそんな雰囲気だった。音大ピアノ科の学生、出身者って、世間ズレしていない独特の空気がある。
きっと弘中孝氏に縁もゆかりもない、私のような「一見さん」ってほとんどいないのでは?
さて、一曲目。ブラームス「3つの間奏曲 Op.117」。
ステージに登場して、氏が「聞こえますか?」と小さく語りかけるようにひと言。「今年の日本は大変なことになりました。東北の地震、原発‥‥最初の117を亡くなった方々に捧げます」と。そして静かに演奏開始。
リリカル。冬、一人暮らしの部屋に帰って、ぽっと一本のロウソクに火を点けたよう。そして、ロウソクの火が少しだけ揺れて‥‥。ささやかながらも、生きていられることの安堵と感謝、そんなことを思わせる演奏だった。
二曲目、ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ Op.24
間奏曲とまったく違った、くっきりと輪郭が明瞭な響きでテーマが提示される。ハイドンのテーマをハイドンの響きで示した。その後は、気をてらわずストレートな変奏が続いていく。
ピアノはベーゼンドルファーインペリアル。私、ベーゼンは寝起きが悪い印象がある。変奏曲の後半から、ようやくピアノが鳴ってきたような気がした。
ここまでが前半。
後半は、シューマンの「交響的練習曲 Op.13」一曲。補遺の変奏五曲入り。実は、私、補遺の入ったバージョンの演奏を聴くのは初めてだった。
氏は、第8練習曲と第9練習曲の間に、補遺五曲を挿入して演奏。何しろ、初めて聴くのでどうしても五つの補遺に耳がいってしまった。
前半ブラームスの積み重ねていく変奏曲の演奏に比べると、シューマンはロマンチックで自由な雰囲気。一曲一曲のキャラクターをまったく違った音色で弾き分けていた。失礼ながら、ポートレート写真とシューマンのロマンチックな演奏とは、ちょっとギャップあり。
私、交響的練習曲のラストの変奏曲の曲想は、あまり好きではないのだが、ベーゼンドルファーが鳴りきる壮麗な演奏だった。ラストは、ガチャガチャにぎやかな演奏になりがち。この曲、にぎやかではなく壮麗じゃないとダメなんだな、と思った。
アンコールの前に、氏が客席にひと言「疲労しましたので、この曲で最後です」。そりゃ、今日のこのメニューじゃ疲れるでしょう。
アンコールは、バッハ「主よ人の望みの喜びよ」。これがまた心に染み入る演奏だった。途中から何だか目頭が熱くなった。
いいな。今日の弘中孝氏のリサイタルを終えて、帰り道、ふと思ったのは「あ、年を取るのっていいかも」ってこと。
40代というのは、なかなかつらい年代だ。仕事においても、家庭においても、やりたいこと以前にやらなければならないことに日々追われて、身動きができなくなる。
一方、どう考えても、この先、日本経済がシュリンクする中、60歳後の自分のライフスタイルなんて、不透明極まりない。
いやいや、そんな先の話以前に、たまに鏡を見て増える白髪や、年に一度健康診断をして縮む身長を目のあたりにして、どうしようもない焦りを感じることがある。
でも、アンコールの「主よ人の望みの喜びよ」。あの味わいは、かなりの年を重ねないと出せない響きだと思った。あういう演奏ができるなら、老人になるのもちょっと楽しみかも。
なんて感動を抱きつつ、ロビーで氏のCDを買って地下鉄に乗ったものの、今日の業務が終わっておらず、夜9時半に帰社。11時半まで二時間仕事をして、終電に飛び乗ったころには、リサイタルの感動は霧散‥‥嗚呼。
追伸:
ブログ、ミクシィで時折、メッセージをやりとりさせていただいるLucyさんに、初めて会場でお会いした。なんと弘中氏のお弟子さんだったとは! ご縁です。
ディスカッション
コメント一覧
本当に心に滲み入る演奏会でしたね。氏の媚びたり威圧したりしないのに、釘付けになる演奏は、誠実なお人柄そのものだったように思います。
ご縁があって嬉しいです。今後ともよろしくおねがいいたします。
Lucyさま。確かに、ピアノって、威圧することも、媚びたりすることもできます。が、自然体というか、自分のスタイルが大切だな、と思いました。