1973年のアップライトピアノの情景
実家から届いたカワイのアップライトピアノ、製造番号を調べると1973年(昭和48年)製でした。何やら、村上春樹の小説「1973年のピンボール」を思い出します‥‥。
ところで、私の実家は大阪のかつての工場街にあります。少子高齢化が進む今では見る影もありませんが、このピアノが製造された1973年当時、家の近所には同じ歳くらいの子供があふれるようにいました。向かいの家にも、両隣の家にも、筋向いの家にも子供がいました。
そして、たいてい女の子がいる家は、子供が小学校2年生か3年生のある日、アップライトピアノが搬入されました。
近所の女の子は、決められた通過儀礼のようにみんながピアノを習っていました。そして、誰が弾いても同じような“縦のリズム”のバイエルの練習曲が、家の中から聴こえてきました。
経済成長期のニッポンであったとはいえ、当時、ピアノはぜいたく品だったに違いありません。女の子を持つ親にとって、成人式の振袖とアップライトピアノは高価とはいえ、何とか工面して「用意するべき物」だったのでしょうか。
当時の親たちが、ショパンやモーツァルトのピアノ曲に憧れ、娘にピアノを習わせたとは思えません。私の両親も、クラシック音楽の素養はまったくありませんでした。
クラシック音楽というソフトウェアではなく、「幸せで豊かな家庭」の舞台として、ピアノのある家というハードウェアに、みんな強烈な憧れを抱いたのだろうと思います。アップライトピアノの購入は、庶民にとって豊かさのシンボルだったのでしょう。
私も、黒光りするアップライトピアノが、実家に搬入された日のことをよく覚えています。その日は、何となく家のステージがグレードアップしたような、晴れがましさがありました。
そして、ピアノの蓋を開けたとき、ツンと鼻についた酸っぱい独特のにおいに、今までにない「高級」というものを感じたのでした。そう! 私にとって、ピアノとのファーストインプレッションは、響きよりも、あの「高級なにおい」でした‥‥。
さてさて、明日は午後、調律師に来てもらいます。38歳のこのピアノ、何とか蘇らせていただきたいものです。
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