深まりゆく、妻との音楽性の溝
竹内まりや姉さんの作品に「家に帰ろう~マイ・スイート・ホーム」って曲があります。
「冷蔵庫の中で凍りかけた愛を温め直したいのに、見る夢が違う 着る服が違う」「好きな歌違う、選ぶ絵も違う」という夫婦の倦怠期の姿を描いた歌です。ずっと何気なく、この曲を口ずさんでいましたが、最近、この歌詞はマジその通りだなと感心しています。
実は、私の嫁さんもピアノを弾きます。私よりポテンシャルな力はあると思っています。結婚する前は、時々、連弾をやったりしました。が、40歳を過ぎて、私がピアノを再開してからは、休日、ピアノばかり弾いているので、すっかり目の敵にするようになってしまいました‥‥。
かつて仲良く連弾で遊んでいた頃、「同じ趣味っていいですね」と周囲に言われたりしました。でも、正直、音楽性の趣味は微妙に違っていました。ま、往々にして、男子と女子では好きな音楽は違うものです。
で、かつては小さな溝であったものが、ここ10年ほど、音楽性の溝は深まるばかり。平日は、別々の行動だから気にはなりませんが、休日、一緒にクルマに乗るとBGMの指向が180度違ってちょっとしんどかったりします。まさに「好きな歌違う、選ぶ絵も違う」です。
ちょっと前はアンジェラ・アキ、今日は植村花菜のCDが積まれていました。アンジェラ・アキも植村花菜も、素晴らしいミュージシャンです。ただ、世界観がどうも好きになれないんです。ひと言でいうと「貧乏くさい」。
私は貧乏性ではありますが、貧乏くさいのは好きになれないのです。貧乏性はライフスタイルですが、貧乏くささはイデオロギーです。この二つの概念は断じて違うのです。
なわけで、私のクルマのダッシュボードには、アレクサンドル・タローの『ラモー・クラヴサン曲集』と、植村花菜の『わたしのかけらたち』が並んでおります。
でも、二人で乗るときは植村花菜のCDをかけるのですがね(苦笑)。