中村紘子氏の新春座談会発言がイイ!
そんな中村紘子氏とノーベル賞を受賞した科学者、小柴昌俊氏と益川敏英氏の対談記事が、1月4日の日本経済新聞に掲載されていた。「新春ノーベル賞座談会 若者へのメッセージ」という記事。
はっきりいって、企画趣旨と聞き手(編集委員)の質問はクソ!だった。だいたい、仕事初めの日経新聞朝刊中面に「若者へのメッセージ」なんて掲載して、若者の誰が読むのか? 若者へのメッセージを伝えたいなら、モバゲーかグリーに掲載するか、アクセス導線を確保しろよ!って思った。
また、聞き手の質問がおざなりで時代錯誤。「旧制高校時代はデカルトを論じ、カントを論じ、ゲーテを読み、音楽も聴きという中から、科学に興味を持って科学者になったり、芸術家になったりした人たちもいると思います」ってアホな質問するなよ。いかにも老人から、「我々は昔、勉学に励んだ」という予定調和な回答を求めているいやらしさがヒシヒシと感じる。こういう“ガラパゴス的予定調和”が、今のニッポンをダメにしているのだ。
ところが、この三人、中でも我らがピロコ先生の回答が本当に素晴らしかった。
反モラルだけれども、99%の天使の汗と1%の悪魔の血がまじって、人の心を惑わす。惑わすためにはあらゆる経験をする必要がある
そうそう! 例えば、挫折と嫉妬。失恋と不倫。天使の汗だけでは、芸術もビジネスも理解することできないよな。
芸術というのは、私の考えでは、現実の生活で満たされないものをそこに託すこと
そうそう! 社会人のアマチュアがピアノに向かう原動力って、まさにそこなのだ。
素晴らしすぎるピロコ先生の名言の数々、以下、ピックアップしました(クソ!な聞き手の質問も原文ママ)。味わってください。
――今の子どもたちは、学校から帰るとゲームに向き合うか塾に行くかといった印象があります。
「私はあんまり悲観していない。芸術の場合、人に忘れられないような感動を与える人は、いつの時代でもそう多くはない。しかし、きっと出る。極端に言うと、1人か2人でいい」――旧制高校時代はデカルトを論じ、カントを論じ、ゲーテを読み、音楽も聴きという中から、科学に興味を持って科学者になったり、芸術家になったりした人たちもいると思います。
「ハングリーではなくなっている。私は、“先進国症候群”と呼んでいる。1950年代からアメリカの中産階級から上の白人は、ピアノなんて弾かなくなった。ピアノをやっても趣味にとどめて、別な方向で人生設計する」
「日本自体、豊かになっている。芸術というのは、私の考えでは、現実の生活で満たされないものをそこに託すこと。この辺が今の日本の若い人の一つの壁になっている」――可能性をどう引き出すか。若い人にメッセージを送るとしたら。
「芸術家というのは、必ずしも天使のような人ではつまらない。反モラルだけれども、99%の天使の汗と1%の悪魔の血がまじって、人の心を惑わす。惑わすためにはあらゆる経験をする必要がある」
「異文化に刺激を受けて、いい悪いではなく、いろんな考え方を身につけるということが、いい音楽家になる条件。海外に留学したって、何にも先生は教えてくれないかもしれないけれども、それでも行ったほうがいい。刺激を受けることが重要」――中村さんご自身、音楽以外の分野への関心、興味をどう高めていきましたか。
「例えば、教えている生徒に、どういう本を読んだらいいでしょうかなどと聞かれると、『これが必ずいい』などとわかっていれば人生は楽だと私はいつも言っている。いろいろと好奇心を持つことが大事だというしかない」
「音楽はすばらしい論理によって構築されているが、その論理を包んでいるのはすばらしい感受性だ。これなくしては音楽に感動はない。音楽の喜びには、非常に生理的なものが含まれている。一流の音楽というのは、聴き手に生理的な快感を与えるものだ」
「脳生理学的にいうと、早期でないと能力を肥やせない分野があるそうだ。臨界期というらしいけれど、その時代に吸収したものは、自分の脳の奥に一生入っている。例えば、オペラの名作でも30歳を過ぎてから聴くと、何という稚拙な台本だと思うときがある。ところが10代のころにメトロポリタンか何かの天井桟敷で聴くと、理屈を超えて感動したりする。絵でも文学でも何でも同じ。10代のときに読んだ文学は、一生の基本になっている」