感想/池田理代子著『47歳の音大生日記』

2015年8月17日

47歳の音大生日記(中公文庫) 著/池田理代子 中央公論社

「音大かぁ、今からでも入学したら楽しいだろうな」と思いつつ本書を購入した。「中年になって入学した音大生ライフってどんなものだろう」と、好奇心をもって読み始めたが、内容は想定内というか、学生生活の描写については特に新鮮味はなかった。はっきりいって冗長な日記。何かの雑誌の連載をまとめたものだろう。

最初から最後まで、大好きな声楽への想いと、愛するご主人へのノロケが、これでもかというほどに続く。30代でこの本を読んだら辟易してたと思う。ところが、当時の著者近い年になってこの本を読むと、狂おしいほどのピュアな想いは妙に共感できる。

入学に際して、著者は下のようにつづる。

 天から与えられ、また自ら自らで勝ち取ったこの機会を悔いなく生かして学び、いつの日か恥ずかしくない歌を、私を支えてくれた人々に聴いていただくことができるようになりたい。
 愛してやまない美しい音楽に囲まれて生きていける幸福を、この先どんな辛いことに出合っても瞬時たりとも忘れたくないと思う。
 どんな瞬間も、つまりは二度とないかけがえのない時であるのだが、“一期一会”ということの本当の意味を実感できる頃、人は残念ながらあまりにも多くのものを手のひらから不用意にこぼして生きてきてしまったことに気づくものだ。

私も40歳を過ぎて、人生をリターンしたと思う。復路の景色を眺めつつ、「あまりに多くのものを手のひらから不用意にこぼしてきた」という言葉が胸に響く。

私にとってピアノを弾くことは、手のひらからこぼしてきた砂を、もう一度両手ですくいあげるようなことかもしれない。すくいあげてもすくいあげても、指の隙間からするすると砂をこぼれ落ちていくのだけど、それでもすくいあげるのだ。

なお、この本は1999年刊行の単行本『ぶってよ、マゼット』の文庫版。著者は1947年生まれだから、15年ほど前の日記になる。たった15年前だけど、当時、インターネットもケータイもない時代だけに、大学生活も恋愛も牧歌的な空気を感じる。

実は、この“牧歌性”がちょっとうらやましかったり‥‥。


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