中村紘子氏が語る「感動の多様化」
本場の西洋の国々でクラシック音楽が衰退している一方、多くの中国人ピアニストが世界のあちこちで活躍しています。ショパンの弟子からこう学んだ、と私が言っても、彼ら独自の解釈で演奏する時代が来るかもしれません。
明治に入ってきたクラシック音楽が多くの日本人の心をつかみ、生活の自然な一部になっています。こういうコスモポリタンの時代には、クラシック音楽は世界が共有する遺産になってきますが、21世紀は、私が感じていた音楽とは違う形に変わっていくことは間違いありません。過去20年の情報技術の進歩によって、人間が過度の情報や刺激に鍛えられてしまい、それ以上の刺激がないと感動しなくなってしまったからではないでしょうか。
(中略)
情報の洪水により、聞き手は今までのような単一の価値観ではなく、たとえば演奏よりもその人の人生そのものを楽しんだりしています。今、多くの人に感動を与えるのは、演奏家の辛(つら)かった半生や、障害を抱えながらもがんばっている姿など多様性を持つようになりました。音楽という生き物を扱う以上、変質していくのは当然の成り行きかもしれません。そういったものが、日本の文化として一つの形を作っていっているのだろうと思います。
たぶん、クラシック音楽は、今後、ますます公用語としての「英語」化が進んでいくと思ってます。例えば、シンガポールにおいては、中国語、マレー語の発音、文法と混じり合うことで「シングリッシュ」(シンガポール)という“新しい英語”に進化しています。そして、かつては亜流の言語としてネガティブに見られていたものが、現在では“母語”として積極的に評価されるようになってきました。
21世紀におけるクラシック音楽のグローバル化って、そんものなのかもしれません。20世紀に生まれた私たちの好き嫌いは別にして。