芸術の「事業仕分け」を経営的に考える

2014年5月26日

バイオリン

<事業仕分け>クラシック音楽関係者8人が反論(毎日新聞)

 政府の行政刷新会議の事業仕分けに対し、クラシック音楽関係者8人が7日、東京都内で記者会見して「緊急アピール」を行った。「友愛の精神は芸術から」と銘打って、「明確な文化立国のビジョンを示さないまま(日本芸術文化振興会の予算などを)大幅に縮減したことを危惧(きぐ)する」などとしている。

 ピアニストの中村紘子さんは「芸術文化は人間そのものを育てること。人間を育てるには時間がかかる。1、2年で効果が出るものとは違う」。指揮者の外山雄三さんは「少しずつ我慢してなんとかなるなら我慢したいが、オーケストラはもう限界」と述べ、作曲家の三枝成彰さんは「助成が削減されると、地方のオーケストラは存在できなくなる可能性がある。そういう意味がわかっていたのか、非常に疑問を感じる」と語った。【油井雅和】

「芸術創造活動特別推進事業助成金の削減・廃止に反対」という署名運動がネット上で広がっているようだ。「プロ・オーケストラによる本物の舞台芸術体験事業の廃止に反対します。この事業は日本の文化活動を底支えしようという事業、また子供達の感性を豊かにし、将来の日本を担う人材を幅広く育てよう、という事業だと考えます。この事業の継続を強く希望します」という署名運動も同時に行われている。

私は、この手の社会の一部分にフォーカスした感情的な署名運動は、どうも苦手である。

最初に旗幟鮮明にしておこう。私は、基本的に「小さな政府」主義者である。「税金は少なく、国家の関与は少なく」がよいと思っている。
日本の借金は865兆円という天文学的な数字である。国民一人あたり677万円。目には見えないが、四人家族だと一家で約2700万円の借金があるのだ。これまでは人口が増え、経済が成長し、家計収入が増え、ローンを組んで買ったマイホームの不動産価値も上昇した。日本全体、そういった個人資産の信用が集積されることにより、目に見えない借金が可能だったのだ。

だが、今の日本にリストラが必要なのは明白である。

語弊を恐れずに言うなら、芸術創造活動特別推進事業助成金による事業とは、「一家に2700万円の借金がありつつ、子供を私立の音大に行かせるようなもの」と思っている。

だからといって、「助成金を削減せよ」=「私立音大への進学を諦めろ」というのではない。国家から事業助成金を得るからには、その事業によって直接的にしろ間接的にしろ、どのようなリターンがあり、“一家2700万円の借金”の返済に寄与するのか、助成される側が問われるはずである。

助成金削減に反対する芸術家の会見記事を読む限り、残念ながら、そういった発想がまったく見られなかった。

と、このままではオヤジのボヤキになるので、ちょっと経営的な視点で「音楽振興」というものを考えてみたい。

古代ギリシアでは、市民は子供に音楽を学ばせるのが必須であったそうだ。それは、演奏をするためではなく、「調和を学ぶため」だったという。古代ギリシア人にとって、音楽は芸術ではなく数学のようなものであったのかもしれない。

また、昨今、音楽大学でも音楽療法の学科が開設されている。代替医療、補完医療ではあるが、音楽を芸術ではなく「医療行為」と捉えることもできるだろう。

ところで、私のような会社経営に携わる人間は、手垢がつくまで、日々、損益計算書とにらめっこをする。たいていの損益計算書は、一番上に「売上」があり、その下に「原価」があり、そのまた下に「販売費・一般管理費」の項目がある。仕入れは原価に計上し、減価償却は販売費・一般管理費に計上する。

当然ながら、売上を最大化して、原価と販売費・一般管理費を最小化するのが、経営者の仕事だ。

例えば、私は「期間限定の懸賞システム」の開発・運用を、複数の顧客に提案したとしよう。同じシステムであっても、将来的な流用を考えて「資産」として捉える顧客もいれば、広告・宣伝費という一時的な「費用」として捉える顧客もいる。中には、あるプロジェクトの仕入原価として捉える顧客もいると思う。もちろん公的な会計基準はあるのだが、現実の運用においては個々の会社の考え方、思想に委ねられる部分が大きい。

一番大切なことは日本国株式会社として、音楽振興を損益計算書のどこに「仕分け」するのかだ。古代ギリシアでは音楽は芸術ではなく教育投資であった。当然のことながら、投資である以上は、リターンの定量指標が必要となる。芸術助成を訴える芸術家たちは、この定量指標という視点がない。“心を育てる”なんて物言いは、指標にはならない。

では、音楽を代替医療、補完医療といった福利厚生費と捉えるのか、はたまた観光・文化事業の「仕入れ原価」なのか。

「資産」と捉えるなら、助成金は中期的な減価償却と考えられる。「仕入れ」と捉えるなら、一つひとつのコンサートの損益をレビューしていくべきだろう。

日本の国家予算を損益計算書で見たとき、音楽振興をどのように「仕分け」していくべきか? その解答を、助成を訴える芸術家自身、署名に賛同する人々自身が考えることこそ、大切なのではないだろうか?


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