甲子園ボウル、京大ギャングスターズの思い出
日曜、アメリカンフットボールの学生日本一決定戦「甲子園ボウル」があり、母校の関西大学が優勝した。62年ぶりの快挙という。私は、中学3年間、高校3年間、大学6年間(笑)の計12年間を関西大学で過ごした。生粋の関大生である。今回の優勝は素直にうれしい。でも、早稲田や慶応の学生が、早慶戦の後によくやっているように、OB同士が集って酒を片手に校歌や応援歌を歌うほどの感激はない。
俗に関関同立(関西大学・関西学院大学・同志社大学・立命館大学)と言われる関西私立四大学の中で、関大生は一番、母校に対する帰属意識は低いような気がする。一方、同志社、関学の学生は、母校に対する強い帰属意識を持っているようだ。
私は学生時代、京都の河原町付近で、しばしばコンパの終わった後、路上で同志社の校歌を大声で歌う学生を見かけた。「オレたち、同志社、見てよ!」と言わんばかりの姿は、どこか排他的でイタく感じたりした。その点、関大生は、他人に尋ねられなければ、わざわざ出身校について語ったりしない(この点は、今回の甲子園ボウル対戦校、法政の出身者にも言えるのでは)。バランスあるナショナリズムとでもいおうか、私は母校のそんなところが好きだ。
さて、甲子園ボウルの思い出。
甲子園ボウルは、一度だけ生で観戦したことがある。1990年、日大フェニックスVS京大ギャングスターズの対戦だった。
1980年代後半の京大ギャングスターズには、監督・水野彌一、クォーターバック・東海辰弥がいた。1986年、87年と二年連続で、ライスボウルで社会人日本一を破り、黄金期を迎えていた。京大ギャングスターズの選手のほとんどは、高校時代にアメフトの経験がなく、受験勉強を終えて、大学に入ってから始めた選手ばかり。スポーツそのものの経験のない部員もいたという。
一方、日大フェニックスは、カリスマ篠竹幹夫監督の下、日大付属高校のアメフト部出身のエリート軍団。日大が専用の練習場やトレーニング施設を持つ(その点は、関西のアメフト伝統校、関学も同じだった)一方、京大ギャングスターズは学校からの補助は一銭もなかったという。
当時、関西の大学生は、そんな京大ギャングスターズが大好きだった。関大生だった私も、なぜだか同志社の女のコと二人で、甲子園ボウルに京大を応援に行こうよ!と観に行ったのだ。アメフトのルールもよくわかっていないのに。スタンドを埋めた大学生は、私たちのような他大学のにわかファンが結構多かったんじゃないかな。
とにかく、“東京のエリート集団”=日大フェニックスを、我らが阪神タイガースの聖地=甲子園で打ち破るのだ!という期待に、みんな胸を躍らせていた。日大フェニックスの選手にしてみると、強烈なアウェー感があったと思う。
残念ながら、1990年の甲子園ボウルは、日大フェニックスの強力な「ショットガン」の前に、ギャングスターズは一敗地にまみれた。試合終了後のインタビューで、勝因について訊ねられた日大の篠竹監督が、「ま、士気の発露だな」と一言だけ答えて、「なんだ、このジジイ!」とたいそう悔しい思いをしたのを覚えている。
‥‥ちなみに、その後、学生日本一と社会人日本一の対戦「ライスボウル」では、関西四大学のアメフト部出身者を多数擁する松下電工インパルスが、日大フェニックスに快勝。胸がすく思いをしたっけ。
とにかく、文武両道の精神が好きだった。このスピリッツは、今の私の「仕事&ピアノ両道」につながっていると思う。
なので、夏のピティナのコンペティション。音大ピアノ科出身者も参加するグランミューズA1、A2部門で、一般大学出身の社会人が混じっていたら、私はガゼン応援したくなる。
音大ピアノ科出身者はとにかくうまい。子供の頃からの基礎があるのでタッチが違う。タッチが違うので響きが違う。ホールで聴くと歴然とする。猛烈なコンプレックスを感じる。だから、高校生から聴音、和声法、専門の勉強をしっかりして、専用練習室で思う存分練習ができる音大出身者は、私にとって日大フェニックスみたいなものだ。
聴音はダメで、和声はポピュラーのコード進行を応用、ピアノは15年前に買ったクラビノーバ。それでも、私は知恵と工夫、そして京大ギャングスターズのスピリッツで行きたいと思う。