彼岸へ誘うツィマーマン@所沢ミューズ
クリスティアン・ツィマーマン日本公演のラスト、所沢ミューズに出かけた。梅雨の合間、お天気がよかったので、思い切って所沢まで50CCのスクーターでアクセス。半そでシャツの腕にひんやりした空気が当たって、とても気持ちがいい道中だった。
リサイタルは夕方4時30分開場、5時開演。昼の公演なのか夜の公演なのか、ちと中途半端な感じ。所沢までスクーターで所要1時間30分とみて昼3時すぎに出発したが、意外に早く4時すぎに到着。スクーターをホール横の駐輪場に停めて、お隣の航空公園で缶コーヒーを飲みながら時間をつぶす。1978年開園、うっそうとした深い緑の樹木に囲まれた、重々しい雰囲気がいい。ロンドンのリージェントパークに似ている気がする。
4時半前になると、リサイタルの観客がホール周辺や公園付近にたむろし始めた。年齢が高いな。老人が半分以上だろう。アラフォーの私が「若者」に思える。みんな、インテリジェンスで小ぎれいな人たちばかり。同じクラシック好きの老人でも、オペラと室内楽では、ずいぶんと観客の雰囲気が違ってみえる。ツィメルマンのリサイタルは、物静かでアカデミックな草食系老人が多い。イタリアオペラの公演で必ず見かける、派手なファッションの肉食系ババはいなかった。
さて、4時半ジャストに開場。列を並んでホールの中へ。所沢ミューズの大ホール「アークホール」はシューボックス型の素晴らしいホール。格子をふんだんに使った内装が私のお気に入り。サントリーホールや紀尾井ホールより好きだ。
今日のプログラムは下の四曲。
バッハ:パルティータ 第2番 ハ短調 BWV826
ベートーヴェン:ピアノソナタ 第32番 ハ短調 op.111
(休憩)
ブラームス:4つの小品 op.119
シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 op.10
チケット販売時は「曲目:ドイツ三大B」だけの告知だった。蓋を開けてみると、枯淡の味わいあふれる通好みのプログラムだった。
今年前半は、自分が演奏する機会の方が多かったためか、ホールに入ると何だかドキドキする。自分が演奏するわけでもないのに、何だか心の準備を整えないと、と焦ってしまう。そうこうするうちに、白髪&白ひげのツィマーマンが登場。うーむ、『北斗の拳』のトキを思い起こさせる風貌だ。
一曲目のパルティータ。グレン・グールドのエキセントリックな序奏の印象が強烈なので、ずいぶん女性的なやさしい感じがした。「あれ、こんな感じ?」と思ったが、次にアンダンテのテーマがウルトラ美しい弱音で響いた瞬間、
「キタ━━━━ヽ(・∀・` )ノ━━━━!!!!」
北斗神拳でいうと、軽くかつ正確に経絡秘孔を突かれた感じだ。あまりに美しい音。あぁ、こういう弱音でストーンとホールで響かせるのって、どうしたらできるのだろう。その後、アルマンドからカプリッツォまで「珠玉の」という形容詞がぴったり。ロマンティックな時間が流れた。パルティータの演奏が終わると、周囲の観客は拍手と同時に低いため息を出していた。
ベートーヴェンのピアノソナタ 第32番。パルティータとガラリと音色が変わり、第一楽章の第一主題は、ズドーンとホールのド真ん中に大きな杭を打ち込むような力強さ。ここから始まるドラマを支える柱を打ち立てたって感じ。北斗神拳の「闘気」に通じる力強さとでも言おうか(笑)。幾分早めのテンポで、筋肉質の第一楽章だった。第二楽章はうってかわって透明な音色。アンビエントなリズムに乗って音が宙を舞っていた。天上の世界をホール中央に作り出したみたい。“彼岸”へ連れていかれた。これ、催眠術に近いかも。こんな経験初めてだ。
前半の二曲で、アマチュア格闘技と北斗神拳の違いを十二分に見せつけられて、ただただため息ばかり‥‥。休憩時間、二階のビュッフェでケーキとコーヒーを買った。コーヒーはマグカップにナミナミ。サービスはうれしいけど飲みきるの大変だった。
後半のブラームス。前半のバッハ、ベートーヴェンに比べると、いい感じに力が抜けた感じ。まぁ、間奏曲なので、力を入れる曲ではないんだけど。抑制の効いたテンポルバートながら、音楽に引きつける何かがあった。この曲、アマチュアが弾くと退屈な小曲になりがち。大人の紳士の薫り漂うブラームスだった。
シマノフスキの変奏曲は、前半三曲の抑制と計算された演奏と違い、思いのたけを発散するようなダイナミックな演奏だった。一言でいうと、ケンシロウの得意技「北斗百裂拳」。一見、激しい連打に見えるが、無数の打鍵一つひとつが正確に秘孔を突いているのだろう。演奏の後、非日常に気分が高揚していた。
シマノフスキの演奏終了後、多くの観客が立ち上がって拍手をしていた。にも関わらず、アンコールはなかった。ちょっと物足りない気もしたが、このリサイタル自体が四楽章のソナタと考えられるかも。そうすると、アンコール抜きも理解できる。
あと、ツィマーマン、指揮者がオーケストラのメンバーを紹介するように、最後にスタインウェイのピアノに対して「ぜひ拍手を」と、紹介するよう手を広げた姿がユニークだった。あたかも主役はピアノであるといわんばかり。
割れるような観客の拍手で、ツィマーマンは何度もステージに戻ってきたが、最後、バイバイと手を振っておしまい。
と、まぁ、うまく形容する言葉が見つからないのだけど、宗教的ともいえるストイックで濃密なリサイタルだった。「北斗神拳はすごかった」というのが率直な私の感想。
ホールを出ると所沢は薄暮に包まれていた。ポーランドの民謡のテーマを歌いながら、スクーターをバルバルと飛ばして家に帰った。