2013年バレンタインデー雑感、いや雑文
今年のバレンタインデーは、秋葉原のアイドルカフェで過ごした(打ち合わせです)。
いま、秋葉原で仕事をしており、一週間に二日は秋葉原に出かけている。アイドルカフェではバレンタインキャンペーンが実施中、この街は、一人の男性に本当に温かい。
表通りを歩くと、バレンタインデーの真っ昼間に手をつないで歩いているカップルを見かけた。取引先の男性は「表参道や代官山に行け!」とボヤいた。ホント、そう思った。
夜6時すぎに会社に戻ると、机の上に、山盛りになった書類と共に、自部門の女性スタッフ数人共同の義理チョコが置かれていた。お返しするのを忘れないよう、付箋紙に書かれた名前をすぐにテキストエディターでメモした。
夜7時からデスクワークに取り掛かったので、その日の作業を終えるのに10時半頃までかかった。
夜10時を過ぎると、さすがにフロアに人が少なくなる。
ノートパソコンの画面に集中していると、後ろから「うさぎさん、いつもありがとうございます」という声が。振り向くと、同じフロアの端の部署の女性セールスだった。
女性セールス 「こんな時間になって、すみません」
うさぎ 「いえいえ。わざわざ、ありがとうございます」
女性セールス 「最近、お食事、誘ってくれませんね」
うさぎ 「‥‥‥!」
いやぁ、夜10時、うんざりと疲れている時間に、たとえ義理チョコでも手渡しされると効果絶大。30代女性らしい落ち着いた声のトーンにちょっと萌えました。恋は遠い日の花火ではないのでは、と(爆)。
さて、帰り道、思わずスキップしそうになるのをこらえつつ家に帰ると、冷蔵庫に大量のチョコフレークが冷やされていた。金属製のプレートで2皿(写真右下)。妻に「これ、食べていいの?」と訊いたら「ダメ」と。まだ、息子の分を均等に分けてないらしい。
以前、夜、家に帰ったら、冷蔵庫にでっかい手作りハムが冷やされていた。何も考えずにあらかた食べてしまったら、翌朝「実家の父親に贈るものだったのに!」と半狂乱になって叱られたことがあるのだ。以来、冷蔵庫に珍しいごちそうがあっても、必ず問い合わせするようにしている。
翌日、帰宅したら、ほんの申し訳程度残っていた(写真左下)。
追伸:
「バレンタインデー」の存在を初めて知ったのは、小学5年生の頃だった。進研ゼミの『チャレンジ』誌上でバレンタインデーのマナーについて解説してあったのだ。その年のバレンタインデー当日、クラスの女子数人がクラスの男子数人にチョコを手渡しして盛り上がっているのを目にした。
その女子数人はクラスの“おマセさんグループ”で、男子数人は“走りが速くて面白いモテグループ”だった。私は勉強はできるが(ピアノも弾けるが)、スポーツはからっきしダメなモヤシっ子だったので、当然ながら“走りが速くて面白いモテグループ”には入っていない。
当時、「リア充」(=リアル充実)という便利な言葉はなかったが、最初にバレンタインデーにチョコを手渡し始めたおマセな女子数人は、まさにリア充女子児童だった。
バレンタインデーにチョコを手渡す習慣が普及したのは1970年代半ば。小学生~高校生の女子から始まったといわれている。リア充女子児童は、“記号としてのチョコ”を消費するアーリーアダプターだった。
その後、リア充女子児童は、雑誌『JJ』な女子大生となり、雑誌『VERY』なママとなり、雑誌『STORY』な美魔女となって日本の消費を牽引し、今に至る。
なので、私は美魔女は苦手だ!
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