クリスティアン・ツィマーマン、所沢公演の感想
今回は、ベートーヴェンの後期のピアノソナタ第30番、第31番、第32番の3曲という玄人好みのプログラム。ご病気のため、11月24日の公演が延期されて心配していたが、1か月後に聴くことができて本当によかった。
ステージに現れたツィマーマンは、以前に比べてちょっとふっくらした感じ。白髪はますますフサフサになって、何やら仙人に近づきつつある印象。
さて、この日の演奏。
初めて彼の演奏を聴いた時、こんな音が出せるだ! こんな響きが出せるんだ! 天上の音楽だ! と、とにかく強烈な印象を持った。紛れもなく世界最高峰のピアニストだと思った。ただ、さすがに3回聴くと、「慣れ」は否めなかった。確かに凄いのだけど、ファーストインプレッションでの圧倒感はなかった。
上のように書くと、今ひとつのリサイタルだったように思われるかもしれない。そんなことはない。あくまで「慣れ」が原因。近年聴いたピアニストの演奏の中で、比較にならない高みにいる芸術家である。
さて、前半は第30番と第31番。静謐な中に、彼特有の抑制されたロマンチシズムが感じられた。高音のトリルの美しさに魅了された。長いトリルの中で微妙に色彩を変えることにびっくりした。こんなことができるんだ、と。
ただ、後半の圧倒的な第32番に比べると、前半の第30番と第31番はかすんで見えた。最後のソナタは「こうなんだ」「こうあるべきなんだ」という確信に満ちた演奏だった。第1楽章、決意のような第一主題の提示で、思わず前のめりになった。そして第2楽章、彼は再び「天上の世界」を再現してみせた。そう、2009年の公演でもこの第32番の第2楽章で、異次元に連れて行かれたのだ。聴衆全員が一つになって、天上の世界を旅したような気分だった。
彼は「自分の聴衆の質の高さをこの上ない幸運だと思っており、これだけは世界中のどのアーティストとも交換したくない」と考えているという。確かにこの日の聴衆は素晴らしかった。演奏が終わるやいなや、フライングで拍手を始めるような人もいなかった。本当に良質なピアノ音楽を愛している人たちによる一夜の集い、といった感じだった。