鈴木鎮一を巡る秋(後編)松本市『鈴木鎮一記念館』を訪問
クラシック音楽ゆかりの街・松本
長野県。これまで善光寺がある県庁所在地・長野市には何度か旅したことがある。一方、第二の都市、松本には出かけたことがなかった。
松本といえば、松本城、開智学校等の一級の文化財で知られるが、クラシック音楽では「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」だろう。
「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」は、2014年まで「サイトウ・キネン・フェスティバル」と呼ばれていて、その中核にサイトウ・キネン・オーケストラがある。「サイトウ」とは日本のクラシック音楽教育に多大な貢献をした斎藤秀雄氏のこと。桐朋学園の創始者のひとりだ。
その斎藤秀雄と双璧に立つクラシック音楽教育のパイオニアが、スズキ・メソードの創始者・鈴木鎮一氏だ。スズキ・メソードは松本で生まれた。鈴木鎮一氏の著書との出会いは、先日、ブログに書いた。
斎藤秀雄・鈴木鎮一の2人のゆかりの地ということで、私の中で松本は一地方都市ながらちょっと気になる街だった。
この秋、1泊2日で信州を旅した際、松本市の鈴木鎮一記念館を訪れてみた。
鈴木鎮一記念館は、1952年から1994年まで氏が住んでいた自宅を改造した小さなミュージアムだ。松本城から北東へ1.5キロほどの住宅街にある。クルマで出かけたのでアクセスに不安だったが、氏は松本市の名誉市民だけあり、大きな道路標識があってすぐに分かった。
住宅街の小さなミュージアム
到着すると、本当に「普通の住宅」だった。記念館のスタッフに駐車場の場所を尋ねると「玄関先に駐めてください」と。氏が住んでいた時代も、たぶん自宅の駐車場だったのだろう。
記念館はレッスンルームと氏の住居に分かれている。
レッスンルームは、スズキ・メソードに関する資料のほか、世界各地で受賞した勲章、賞状などが展示されていた。アルフレッド・コルトー、アルテュール・グリュミオー、レオニード・コーガンら、20世紀を代表するアーティストが、この松本のレッスンルームを訪ねたことがわかる。
私はスズキ・メソードで学んだわけではないので、メソードに関する展示物は今ひとつ分からなかったが、氏のバイオリンには「おお」と感じるものがあった。
個人的には、展示物があふれるレッスンルームよりも、住居側の応接室と書斎が新鮮だった。スズキ・メソードといえば、日本で最も成功した音楽教育ビジネスだ。その創業オーナーの自宅の割には、簡素なイメージを抱いた。
慎ましやかな自宅に人柄を垣間見た
公式サイトには「邸宅」と書かれているが、応接室は地方都市の中流家庭にありそうな部屋。書斎は6畳ほどの和室。数々の栄誉に比べると、とても慎ましやかだ。氏はきっと、モノや富には頓着しなかった方なのだろう。
秋の連休に訪れたが、その日、入り口にある入館帳に、私より先に記帳していたのは2人ほどだった。おかげで応接室のソファで小一時間ほど休憩させてもらった。
この椅子に座って、鈴木鎮一氏が同じように物思いにふけったことを想像すると、感無量になった。
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