3畳の防音室も鴨長明の「方丈」と思えば
今年は地震、台風、豪雨と天災が目につきます。大阪の実家では、台風21号の強風により、裏の物置のトタン屋根がどこかに飛んで行ってしまいました。トタン屋根は未だ見つからず。
防音室の中にいて、台風の轟音に気が付かず
3日前、日曜の台風24号の風雨もひどかったです。翌朝、表に出たら、ゴミ箱がプラスチックのフタだけ、道路を挟んだ隣に庭先に落ちていました。幸いにして、大きな被害はありませんでした。
日曜、私はピアノ調律を終えたこともあり、夜10時すぎから久しぶりにピアノと戯れていました。
1時間半ほど弾いて、防音室を出るとものすごい雨音と風の音にびっくり。防音室の中にいると、まったく耳に入りませんでした。ピアノを弾いていて、警報や浸水に気づかず、逃げ遅れたなんて最悪ですね。注意しないと。
さて、うちの防音室の広さは、たった3畳しかありません。一応、グランドピアノ用ではありますが、グランドピアノを入れると、余白のスペースがまったくなくなります。私のピアノはアップライトなので、弦楽器、木管楽器のデュオが楽しめるくらいの余裕があります。
購入した当初は、「グランドピアノがあればな、グランドピアノが入る防音室がほしいな」なんて考えていましたが、年齢とともに「足ることを知る」のか、大きい部屋で弾きたければレンタルスタジオを借りればいいや、と思うようになりました。
天災続きの2018年、鴨長明を思う
ところで、今日、3畳の防音室の真ん中に座ると、ふと中世の歌人・随筆家、鴨長明の『方丈記』を思い出しました。長明は晩年、四畳半の「方丈」に住み、『徒然草』『枕草子』と並ぶ随筆『方丈記』を記します。
彼は、『方丈記』の中で、安元3年の大火、治承の4年の竜巻、養和年間の飢饉、元暦の2年の地震等、度重なる災害の被害について書き留めており、その目線は800年以上の時を超えて、現代人をハッとさせる批評精神にあふれています。
人皆あぢきなきことを述べて、いさゝか心のにごりもうすらぐと見えしほどに、月日かさなり年越えしかば、後は言の葉にかけて、いひ出づる人だになし。
人は皆、どうしようもない世の中を嘆いて、いささか濁った心も薄らぐように見えたけれど、地震から日が経つと、言葉にして口にする人はいなくなった。
とか。
人のいとなみみなおろかなる中に、さしも危き京中の家を作るとて宝をつひやし心をなやますことは、すぐれてあぢきなくぞ侍るべき。
愚かな時代に、災害の多い都会に大金をはたいて家を建てて、心配し、悩むことほどバカバカしいことはない。
とか。
3畳の防音室は、私の「小宇宙」と考えよう
鴨長明は、下鴨神社の新刊の次男として生まれ、幼少の頃は恵まれた環境だったものの、18歳の時に父を亡くし、その後は不遇な人生を送ることになります。
音楽と和歌の素晴らしい才能に恵まれながらも、神官の相続争いに破れたり、鎌倉で源実朝と面会を果たすももの、期待した和歌の師範になれなかったり……。
そんな彼は、50歳を過ぎてから4畳半の「方丈」に一人で住み、「無常感」あふれる文章の執筆を続けました。
人生は嬰ハ短調というか、変ロ短調というか。最近、そんな彼の一生にちょっと自分を重ねてしまうところがあります。
3畳の防音室、ここが私の「方丈」と考えれば、ここは鍵盤うさぎの小宇宙なのかも、なんて思えてきました。
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