Facebookとmixiをやめてよかったこと
ひと月半ほど前にFacebookとmixiをやめました。直接のきっかけは、Facebookの個人情報流出の問題でした。
アメリカの国会では大いにこの問題について言及されました。ですが、日本では、私とは違って、大多数の人はいちいち気にはされないみたい。
Facebookの個人情報保護はまだ不十分、とドイツ司法大臣(Bloomberg)
ただ、一年ほど前からクローズドなSNS(友達としてつながっている人のみに投稿が見えるSNS)に、個人的な課題を感じていたので、ちょうどいい機会でした。
クローズドなSNSで「自己嫌悪の連鎖」に
Facebook、mixiのコミュニケーションはホントに楽しいです。けれども、私にとっては中毒性があり、通勤電車の中、食事の前後も、仕事中も、ついついのぞきに出かけてしまうのです。ひどい時は、30分に一度くらいのぞいていたような気がします。
現代人にとって一番貴重な資産は「時間」なので、このまま限りある一生の相当の時間をこれ以上、Facebookやmixiに費やすのはなんとかしなきゃ、と、常々考えていました。
また、友人や知人が、何をしたのか、どこにでかけたのか、誰と会ったか、そんなことをチラチラと横目で気にしたりして、自己嫌悪に陥ったことも大きな理由です。周囲が何をやっているのか? を気にするのではなく、自分が何をしたいか? どうしたいか? の方にフォーカスすべきだろう、とか。
で、「このままではいかん」と、何度もアカウントをログアウトしたり、アプリを削除したりしましたが、数週間ほど経過するとやっぱり気になってしまい、ブラウザで見に行ってしまうのです。「ホント、心が弱い私」と、自己嫌悪の連鎖に。
ならば、いっそのこと、アカウントを削除、もしくは解除してしまえばどうか?と考え、今回、実際にやってみました。さすがに再びアカウントを作り直してまで、のぞきに行きたい気にはなりません(今のところ)。
いい意味で「自己中心的」になれた
Facebook、mixiをやめて、一番の収穫は時間の無駄遣いがなくなったことです。SNSを見るのに断片化されていた時間が、ギシッとつまりました。それに伴い、読書時間と学習時間が大いに増えました。今は秋のTOEICに向けて、英語学習アプリをやっており、毎日の通勤時間中、45分くらいは集中して時間をかけることができます。
また、ヒトのことを気にしなくなりました。ピアノでいうと、どんな曲を弾いているとか、コンクールに参加したとか。いい意味で自己中心的になったのかもしれませんね。
あ、くれづれもFacebook、mixiをやっている人を批判しているわけではありません。クローズドなSNSが生きる力になる人もきっといるはずですから。
追伸
正確にいうと、Facebookのアカウントは解除しましたが、Messengerは使用しています。あと、mixiは友達つながりは解除しましたが、練習会の連絡・参加申し込みは便利なのでアカウントは残しています。
一方、オープンなSNS(誰でも見られる)Twitterは、私にとってSNSというより「独り言ツール」なので、なぜか、ヒトのことは気になりません。私には、オープンなSNSの方が向いているのかも。