子育てが終了、息子と2人でニューヨークへ

下の息子が高校進学、ようやく子育てが終了

4か月間ほど、ブログを更新していませんでした。今年に入り、父親が亡くなったり、進学した息子が家を出て下宿を始めたり、視力が落ちて眼鏡をかけ始めたり、ニューヨークに出かけたり、Facebookとmixiをやめたり……いろんなできごとがあって、ピアノもブログも放置状態に。生存報告がてら、たまにはブログを更新しておこう。

さて。

この春、幼少の頃から絵を描くのが好きだった末っ子が、中二の夏前から目指していた芸術系高校に合格しました。ただ、うちからは学校がすごく遠くて通学に不便なので、下宿を始めました。

末っ子の絵
末っ子の絵。丑年の年賀状向けに書いた「牛」

なので、うれしさ半分、寂しさ半分。4月は会社で、何人もの同僚から「どうかなさったんですか?」「なんか顔色が悪いですよ」と声がかかりました。モダンアートとカルチャー系映画好きで、何かと私とは気があっていた末っ子だけに、寂しさが顔に出ていたみたい。

上の息子2人は家にいるものの、成人して日々勝手にやっており、何やら「子育て」があっけなく終わりました。長男が生まれたのが1995年なので、23年間ですか。長かった。気がつくと、私は(いまだ信じられないことに)50代に突入してしまった。

マンハッタンの夕景(ニューヨーク)
エンパイアステートビルから眺めたマンハッタンの夕景

バブル世代が憧れたニューヨーク

長男が生まれた頃、23年前にイメージしていた50代の私は、ニューヨークで出版の仕事をやっていて、ブルックリンの郊外の一軒家から、クルマで橋を渡ってマンハッタンに通勤。休日は子育てを終えてドレスアップした(金麦妻風の)奥さんを連れてカーネギーホールへ…今思うと爆笑の夢ではありますが、1990年前後(「24時間戦えますか」のCMが流れていた頃)のバブル世代の男子は、そんな未来予想図を本気でイメージしていたのです。ホントに。

私が大人の入り口を前にした中学生の頃は、ニューヨークという街は、すさまじく輝いて見えていました。それはそれは輝いていたのです。1980年にジョン・レノンのダコタ・アパート前での射殺されてアルバム『ダブル・ファンタジー』がヒットして、ビリー・ジョエルの『グラス・ハウス』がリリースし、1981年にサイモンとガーファンクルが久しぶりにセントラルパークでライブを行い、そんなわけで中学生の私が耳にした洋楽の舞台は、いつもニューヨークだったわけです。

ダコタ・ハウス(ニョーヨーク)
ジョン・レノンがかつて暮らしていたダコタ・ハウス

30歳で、大阪(出身地)から東京へ出た時、次はニューヨークだ!と確信していたのです(笑)。

ところで、1981年のサイモンとガーファンクルのライブの中で歌われた「アメリカ」って歌があります。一般的にサイモンとガーファンクルは映画『卒業』の「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロー・フェア」や「明日に架ける橋」あたりが人気で、当時は私もそっちの曲ばかり聴いていましたが、今は「アメリカ」が一番好き。心にしみる。

“Let us be lovers we’ll marry our fortunes together”
“I’ve got some real estate here in my bag”

二人でミシガン州のサギノからピッツバークへ、長距離バスでニュージャージへ、そしてニューヨークを目指す(と思われる)のですが、

“Kathy, I’m lost,” I said, though I knew she was sleeping
I’m empty and aching and I don’t know why.

という歌詞が、なんとも心にしみまくるのです。この二人は結局、ニューヨークにたどり着いたのかどうか? ここから先が想像の世界で分からないのが、この曲の魅力だと勝手に思っています。

想像していたようには行かない20年ではありましたが、子育て卒業記念に、3月末、2人でニューヨークへ出かけてきました。

かつて想像したニューヨークを満喫した旅

ミッドタウンの四つ星ホテルに泊まって、カーネギーホールでバイエルン歌劇場管弦楽団のコンサートを聴いて、ブロードウェイでキャロル・キングのミュージカル『ビューティフル』を特等席で見てと、この1週間だけは、かつて想像していた50歳のニューヨークを満喫しました。隣がドレスアップした金麦妻ではなく、ニキビ顔の息子ではありましたが。

カーネギーホール(ニューヨーク)
憧れのカーネギーホール。想像以上に古めかしい建物だった

1週間マンハッタン中心に滞在した感想は、刺激的な街ではあるものの、50歳でデビューするにはしんどい街だなという印象。東京23区でさえ最近では苦手に感じているので、基本的にサバービアン(郊外好き)な私は、たとえアメリカに住んでいたとしても、50歳ではニューヨークを離れていたのじゃないかなと思ったりしました。

ロックアウェイビーチ(ニューヨーク)
誰もいない真冬のロックアウェイビーチ

最終日に地下鉄「A列車」で終点まで行き、ロングアイランドのロックアウェイビーチへ行きました。ニューヨークはまだ冬で(前週も豪雪警報が出たくらい)、海岸には犬の散歩をする地元民しかいませんでしたが、何やら殺風景なこの海沿いの町の方が私の居場所のような気が。息子と2人、1時間弱、寒さに震えながら大西洋を見たこの場所こそ、子育て卒業旅行にふさわしかったな、としみじみ思います。

ニューヨーク、今度訪れるのはいつになることやら。


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雑記旅行

Posted by 鍵盤うさぎ