晩秋、「落ち葉狩り」をめぐる哀しい想い出
私は春の桜が苦手だ。桜の季節になると憂うつになる。このブログでも、毎年、開花時期になるとネガティブな記事を書いている。
一方、桜の木の紅葉を見るのは好きだ。紅葉はカエデやイチョウより、桜がいい。晩秋の柔らかい陽光に照らされた、赤い桜並木が好き。春の桜の名所、秋の紅葉の名所に比べると、圧倒的に出かける人が少ない。秋の桜は、たいがい独り占めできる。
私の心の通奏低音は、MajorではなくMinorなのだ。この傾向はきっと生まれながらのものだろう。
ちなみに、子供の頃に歌った童謡で一番好きな曲は「ちいさい秋みつけた」だ。中田喜直作曲、『NHKみんなのうた』で紹介された数ある歌の中で、一番の名曲だと思う。ホ短調である。
一方、一番苦手な曲は「一年生になったら」である。「本当の友達は100人も必要ない。ましてや富士山の上でみんなでおにぎりを食べるなんて騒々しいし、風情がない」などと子供心に思っていた。ヘ長調である。
やはり、MajorよりもMinorだ。
そんなMinor党の私が一番好きな季節は、まさに今、11月下旬、晩秋である。昨日午後は、市内にある川沿いの桜並木を一人、1時間かけて散歩した。日が暮れると、色鮮やかな桜の落ち葉を数枚、家に持ち帰って、コーヒーを飲みながら愛でた。
「落ち葉狩り」には哀しい想い出がある。
私が幼稚園児だった頃、通園していた幼稚園では、秋にバスに乗って落ち葉狩りに出かける行事があった。確か場所は「大阪府民の森 ほしだ園地」だった気がする。
公園に着くと、先生の後について、広大な林の中を歩き、カエデやイチョウの葉っぱを拾いながら、手にしたビニール袋に集めていく。ところどころ先生は、「あの大きなカエデの葉を拾いましょう」とか「イチョウは折れないようにやさしく」とか、私たちに指導した。
私は幼少の頃、典型的な優等生だったので、先頭を行く先生のすぐ後について、指導通りに落ち葉を集めて回った。帰る頃には素晴らしい落ち葉のコレクションが出来上がっていた。
日が落ちる前に、再びバスに乗って幼稚園に帰るのだが、帰り道、道路はとても渋滞していて、私の隣に座っていた同じクラスのU君が車酔いしてしまった。窓の外の風景を真っ青な顔で眺めているU君。私も、私を挟んで通路の補助席に座っていたPTAのお母さんも、彼の横顔が気になって仕方がなかった。
そのうち、ついにU君は我慢ができなくなり、嘔吐しそうになった。危ない!と思った瞬間、PTAのお母さんが、私の座席の前の荷物袋に入れていた落ち葉でいっぱいのビニール袋を取り出し、U君の口の前に差し出した。私が「あっ!」と声を出す間もなく、色鮮やかなコレクションはゲロまみれになってしまった。
きっと、私はここで声を上げて泣くべきだったのだろう。子供らしく。しかし、私は「意識の高い優等生」だったので、思いをこらえた。
いや、違う。私は子供の頃から、哀しい時ほど、なぜか笑ってしまうのだ。合格点に一歩足りない、58点くらいの笑顔で哀しい気持ちを表していた気がする。
仕方がない。U君は本当に辛そうだったし、切羽詰まった状況の中、危機を回避しようとしたPTAのお母さんを責めることはできない。と、自分に言い聞かせた。それでもU君の嘔吐の一部は床にも飛び散り、バスの中にミルクが発酵したような臭いが満ちた。
楽しかった落ち葉狩りは、後味の悪い結末となった。
バスを降りる際、申し訳なく思ったPTAのお母さんが、自分の息子のコレクションから半分を分けて袋に入れ、私に渡してくれた。しかし、それは私が収集していたものからすると、かなり見劣りするものだった。一番残念だったのは、先生が「必ず持って帰りましょう」といった巨大なカエデの葉っぱがなかったことだ。
あれから、半世紀近い月日が流れたが、紅葉を見ると、時折、あの「落ち葉狩り」の一日を思い出す。
そして、思わず落ち葉を拾って、宝物のように持ち帰ってしまう。
追伸:
我ながら、いいエッセイだ……。