“通”な京都の芸能系神社、新熊野神社と白雲神社で演奏の上達祈願
ピアノ再開10周年の元旦に初詣
2017年元旦。2007年元旦にピアノを再開してから10周年です。
10年目を前に「ピアノの生徒の第一人者になる」という目標を持ちました。
ならば、早速、元旦から練習と行きたいところですが、ちょうど大阪の実家に帰省しており、練習ができません。今日は今後の上達と幸せなピアノライフを祈願して、京都に初詣に出かけました。
私、30歳まで関西に住んでおり、しかも大学では日本史を専攻していましたので、京都・大阪・神戸の神社仏閣はとても詳しいです。今日は、そんな私が、ピアノを上達したい人のための“通”な京都の神社2社をご紹介します。
「芸能神社」はあえて外しました
芸能上達、この話題になると、メディアでしばしば紹介されるのが、京都・車折神社境内にある芸能神社。芸能人の名が書かれた朱塗りの玉垣2000枚が並ぶ姿は壮観。神社自身が公式サイトで、「芸能・芸術-上達」「ヒット祈願」「公演成功」「人気上昇」「個展成功」「コンテスト入賞」「オーディション合格」というご利益を打ち出しています。
京都には数多くの神社があります。平安神宮や伏見稲荷大社、八坂神社といったメジャーな神社の中で、参拝客を獲得していくためには、特化したテーマを持つことが一つの戦略。恋愛成就の地主神社と共に、芸能人の信仰を集める芸能神社は、独自のポジションにあるといえます。
ただ、あまりに「芸能人が通う」を前面に打ち出した広報戦術が、私には「芸能人来店のサイン色紙」がベタベタと壁に貼られたレストランに見えて、ちょっと残念なイメージあり。それに、芸能神社は1957年(昭和32年)に、他の神社から御祭神を分祀して創健された新しい神社。せっかく千年の都を訪問するなら、歴史ある神社に参拝したいところ。
そこで、芸能人というよりも、芸術、演奏にフォーカスした由緒を持つ神社を2つピックアップ。今日、元旦にお参りしてきました。
能楽発祥の地「新熊野神社」
新熊野神社は「いまくまのじんじゃ」と読みます。平安時代後期の1160年(永暦元年)、熊野信仰に一際厚かった後白河法皇によって創建された神社。主祭神は伊弉諾尊(いざなきのみこと)。熊野神社・熊野若王子神社と共に「京都三熊野」といわれています。
境内には、後白河法皇(当時は上皇)が熊野より運んだ「上皇手植えの樟」がそびえています。樹齢900年の老木にも関わらず、今なお強い生命力を持っており、手で触れることができます。
さて、なぜ、新熊野神社に注目したか? それは、能楽の祖である観阿弥・世阿弥父子が、ここの境内で「新熊野神事能楽」を披露していたところ、それを観た足利幕府三代将軍・義満がいたく感動。この出会いを機に、二人が観阿弥・世阿弥と名乗ることになった機縁を持つ神社だからです。
もともと武家は田楽を好んでいましたが、武家トップの将軍・義満が猿楽を愛好するようになったことで、支配者層に普及。やがて、江戸幕府は猿楽を正式に式楽と定め、現代の能楽につながっていきました。
あたかもバレエを愛したルイ14世が、王立舞踏アカデミーを創立。それを機会に、舞踏符等、現在に繋がる芸術の体系化が行われていったことを思い起こします。いわば、日本のクラシックバレエである能が生まれる発火点になった場所こそ、新熊野神社でした。
琵琶の宗家の由来を持つ「白雲神社」
白雲神社(しらくもじんじゃ)は京都御所のある京都御苑内の小さな神社。
旧西園寺家の鎮守社で、主祭神は市杵島姫命(いちきしまひめ)、別名・妙音弁財天が祀られています。西園寺家は藤原家の流れにある公家の家系で、天皇や上皇に琵琶の秘曲を伝授した琵琶の宗家です(ちなみに一条家と冷泉家は和歌、山科家と高倉家は装束の作法伝授の役割を担っていました)。
弁財天は琵琶を持つ姿で知られていますが、まさに妙音弁財天こそ音楽の神様です。演奏技術の上達という点では、京都一のご利益がありそうですね(鍵盤楽器よりも弦楽器奏者に崇敬を受けそうですが)。
白雲神社は、室町時代の1224年(元仁元年)、西園寺公経が北山殿造営の際に建立した妙音堂がその由来とされています。江戸時代の1769年(明和6年)、西園寺邸が京都御苑内に移った際、妙音堂も移築。明治維新後、西園寺家が東京へ移った際に、「白雲神社」と改名されました。京都の人々の間では「御所の弁天さん」で親しまれているそう。
京都御苑の樹木が茂る一角にあり、行き方が少々分かりにくいです。ただ、国内外の観光客であふれるメジャーな神社と違って、参拝客もまばら。人知れぬ神社というロケーションが“通”な気分を盛り上げてくれます。
どうでしょう? クラシック音楽を愛する人なら、初詣に行きたくなりませんか?