故・中村紘子さんについて何を書こうか
中村紘子さんが亡くなりました。
コンサートにも出かけたし、LPレコードも買ったし、インタビュー記事があれば必ずチェックしました。著書の大ファンだった。何度も読み返しました。
このブログを読み返しても、ピアニストについて書いた記事は、エレーヌ・グリモーと紘子さんが一番多いです。
彼女の評伝や思い出については、さまざまな専門家が言及するでしょう。あえて、私が一つだけ書くならなんだろう?
そうだ。いつか書こうと思っていたネタを書き留めてあるEvernoteのメモに、こんな言葉がありました。「赤ずきんちゃん、中村紘子」と。
庄司薫氏の小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』の中で書かれた紘子さんについて、いつか書いてみようと思っていたのです。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』は、1969年5月号に『中央公論』に掲載。この年の第61回芥川賞を受賞した作品です。主人公は、「薫くん」。育ちのいい都立日比谷高校三年生の秀才・薫くんは、1968年暮れ、大学紛争により入試が中止になった東京大学への受験をやめることを決心(リアルの薫氏は東京大学に進学)。その心のうちを軽妙な語り口でつづってる小説です。発行部数はなんと161万部! 1960年代のカッコいいインテリの気分を描いており、柴田翔の『されどわれらが日々』とともに大好きな作品です。
この小説の中では、幼馴染のガールフレンド・由美が魅力的なサブキャラクターとして重要な立ち位置を占めるのだけど、ほんの少しだけ中村紘子さんについて書かれた箇所があります。薫くんは「ちょっとしたピアノの名手」で、こんなことをつぶやいてます。
どこかの女学校のテニスコーチを片手間にやるとか、中村紘子さんのような若くて素敵な女の先生について(いまの先生はいいけれどおじいさんなんだ)優雅にショパンなど弾きながら暮そうかなんて思ったりもするわけだ。
『赤頭巾ちゃん気をつけて』が書かれたのは1969年、庄司氏が紘子さんと結婚されたのは1974年。その間のエピソードとして、紘子さんはエッセイ集『アルゼンチンまでもぐりたい』の中で、こんなことを書かれています。
庄司薫氏の『赤頭巾ちゃん気をつけて』の中に、主人公の薫くんが「……なんでもいいから髪の毛の一番長い女の子なんかとお見合いをして、さっさとマイホームでも作るのが似合いなのかもしれないよ、あーあ」と独白する場面がある。著者のサインを貰いにカン詰先のホテルに押しかけた私は、その日から実は密かに髪をのばし始めた。どうやら、薫くんは髪の長い女の子にヨワイらしかった。
ホテルまでおしかけていって。気を引くために髪を伸ばして、いやー、いい話だなあ。
そこまで彼女がぞっこんになった庄司氏。彼の1970年代の写真を見ると、当時の「知的でカッコいい男性」とはこんな感じなのか?と意外に思います。
下は映画化された『赤頭巾ちゃん気をつけて』の1シーン。左が岡田裕介演じる薫くん。イケメンという概念は、時代により変遷するものだなぁと興味深いですね。
死去の寸前まで現役ピアニストであった紘子さん。一方、庄司氏は1977年の『ぼくの大好きな青髭』を最後に小説家としての活動を停止。プロ級の資産運用で悠々自適の生活をされているとか。
ですが、「中村紘子さんのような若くて素敵な女の先生」を妻にして、老後を金融資産の運用で暮らすというのは、男性のゴールの形としてちょっぴり憧れるものがあります(小説の中の薫くんとリアルな庄司氏は、どうしてもイメージがだぶってしまうため、個人的には紘子さんよりも幼馴染・由美と結婚して欲しかったけれど)。
ああ、何だか紘子さんじゃなく、庄司氏について書いてしまった。
紘子さん、素敵なご主人に出会えてよかったですね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません