松任谷由実「ノーサイド」をスナックで歌う夜
学生時代の先輩と数年ぶりに会いました。大手総合商社に務める商社マンです。先輩の指定で新宿・荒木町のスナックへ。私はお酒は飲まない、タバコも吸わないので、バーやスナックとは縁がありません。夜のお出かけはカフェが中心。天井にはミラーボールが回っていて、壁には演歌・歌謡曲のポスター。順々にカラオケのマイクを交換する王道のスナックで、なかなか新鮮でした。
客はサラリーマンが中心。スナックに出かける人は、還暦近い私よりも年配の男性と思いきや、40~50代の上司に連れられた30代前半の女性も多いのですね。意外でした。先輩に聞くと、この店は大手金融機関のサラリーマンが多いとのこと。確かに自分たち以外の客のカラオケにも拍手はするし、帰り際、他の客に「うるさくしてすいませんでした」と頭を下げられたりします。他の客に気配りをかかせない、一線を守った盛り上がり方をしていました。
そんな中、一曲、一緒に歌って欲しいと先輩が私にリクエストしたのが、松任谷由実の「ノーサイド」。私にとってユーミンは、ほぼ全曲をカラオケで歌えるほど、特別な存在。なぜ、「ノーサイド」かを尋ねると、今年、花園で行われた高校ラグビーの全国大会に息子さんが出場されたのにも関わらず、海外出張で見に行くことができなかったのが悔しかったんだ、と。なるほど。
アルバム『NO SIDE』は1984年12月リリース。私は、ちょうど大学受験直前。冬の夜、FMラジオを聴きながら勉強していると、アルバムと同名の「ノーサイド」が聞こえてきました。その抒情的なメロディーと歌詞に、思わずペンを止めて聴き入ってしまったことを覚えています。
1984年の冬は、同志社大学が大学ラグビーで三連覇。翌年1月15日、日本選手権に臨んだものの、6連覇中の松尾雄治率いる新日鉄釜石にどうしても勝てませんでした。その後、この同志社チームにいた大八木淳史、平尾誠二らが神戸製鋼に入り、一時代を築きます。1980年代のラグビーシーンは華やかでカッコよかったのです。下は1985年、新日鉄釜石が9連覇を果たした日本選手権。
気付くと、隣のテーブルと中年男性数人も一緒に歌っておりました。彼らも、国立競技場を駆ける松尾雄治、平尾誠二の雄姿を思い出していたみたい。
いやはや、ユーミンの歌がスナックのスタンダードナンバーになろうとは。