希少な資源「時間」を浪費するSNSをセーブ


一週間ほど前から、ピーター・ドラッカー関連の本を読み直してます。昔、読んだ本でも、時間をおいて読み返すと、目に留まる場所や感じる点が違って面白いですね。

時間こそ、人生において希少な資源

中でも「時間」について書かれた箇所に、深く考えさせられました。例えば、こんなところ。

成果を上げる者は、仕事からスタートしない。時間からスタートする。計画からもスタートしない。まず、何に時間がとられているかを知ることからスタートする。次に、時間を奪おうとする非生産的な要求を退ける。そして、得られた自由な時間を大きくまとめる。

年齢と共に一年間の体感速度が加速度的に上がりませんか(誰しもそうだと思うけれど) ? 一生を砂時計と考えると、砂は一秒一秒着実に落ちていきます。日本人の平均寿命を考えると、私はすでに3分の2程度が落ちてしまいました。

で、砂時計の落ちる量は一定なのに、残り少なくなると、砂が落ちる速度が上がるように感じるのはなぜだろう? 年齢と一年間の体感速度の関係は、砂時計のようなものでしょうか。

ここに漠然とした不安があります。

ドラッカーは、「時間こそが希少な資源である」と口酸っぱく言ってます。その重い意味について、ようやく分かりかけてきました。

じゃ、希少な資源「時間」を無駄に使っているものってなんだろう? 毎日を振り返るに、SNSであるような気がしてなりません。

SNSに1年に1か月も時間を浪費していた!

私、SNS依存症、SNS中毒とまではいかないまでも、行き帰りの通勤電車、ランチタイム。仕事の合間、寝る前のベッドの中、一日、何度もSNSをチェックし、書き込みをしています。

しかも、一つのSNSならともかく、Facebook、mixi、Twitter、Google+、Instagramと種類が多い上、しかも一つのSNSであっても、仕事用とピアノ用で2つのアカウントを使い分けたりしているので、相当な時間を費やしているはず(時間を測ったわけではありませんが)。

ちなみに2013年調査によると、40代は1日64分間をSNS利用に費やしているそうです。

「全国ソーシャルメディアユーザー1000人調査」第2回・分析結果報告(博報堂DYホールディングス)

平均で64分なので、私の場合、80~90分近くを費やしているはず。コンサバに75分と考えても、年間で456時間。一日の起きている時間を16時間と考えると29日。実に一か月間をSNSを見たり、書き込んだりに費やしている計算になります。

SNSが普及し始めた当時は、長い間ごぶさたしていた学生時代の友人や、かつて勤めていた会社の同僚とつながり、いつでも気軽に会話できることが新鮮な体験でした。私、元来がおしゃべりなので、SNSでは積極的に書き込みをし、友人から反応してもらえると素朴な喜びを感じます。

ところが、SNSでのコミュニケーションって、多くはバーチャルなおしゃべりでしかありません。学生時代、何時間も喫茶店で友人同士、うだうだ過ごしたのと同じようなもの。また、多くの人々が見ている環境なので、極端な考えも書き込めませんし、深みのある議論もめったにできません(大人ですから)。

おしゃべりをやめて、読書に時間を回そう

私にとってSNSの楽しさは、おしゃべりの楽しさです。誤解を恐れずにいうと、SNSで便利な情報は手に入れることはできても、本質的な知識は「良書を読む」ことでしか身につかないと思っています。

ですので、年間1か月間のおしゃべりの半分の日数でも、読書や深い思考に回すべきだなと自省しました。

とはいえ、いきなりSNS断ちするのも極端なので、半分ほどにアカウントを整理することから始めようかな。例えば、こんな感じ。

【残すもの】
Facebook(仕事)、Twitter(仕事)、Twitter(ピアノ)、Tumblr、Instagram

【休止するもの】
Facebook(ピアノ)、 mixi(ピアノ)、Linkd In(仕事) 、Eight(仕事)

その分、ブログをもう少し身軽に更新していきたいな。


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