どこかで誰かに読んでもらえるブログの“縁”
今年5月に紀尾井ホールで行われた師匠の50周年演奏会に出演、7月に杉並公会堂での国際アマチュアピアノコンクールの二次予選で演奏して以降、ピアノに向き合う時間が大幅に減っています。
ここ数年、7月のアマコンに参加した後はひと月ほどピアノから離れ、夏の終わりに一週間ほど一人旅をしています。そして、9月には年末の門下発表会に向けて再起動……というパターンを繰り返していました。
ところが、今年は10月に入っても、どうもピアノに向かう気になれません。ピアノを弾かないので、ブログの更新も滞りがちに。
「弾きたくないときは弾かなきゃいい」けれど
夏前から逆流性食道炎になって体調を崩したこと。50歳を前にして、仕事、家庭共に、オレの人生これでいいのか?という懐疑。と理由はいろいろと考えられます。でも、「なんとなく弾く気になれないなぁ」というのが正直な気持ちです。
「弾きたいときに弾けばいいし、弾きたくないときは弾かなきゃいいさ」、これはアマチュアの特権。それに「まぁ、私がピアノを弾かなかったところで、誰かが困るものでもないし」と、そんな風に思っていました。
ところが、今日、こんなブログ記事をたまたま発見して「あちゃ!」と思いました。
5月の50周年演奏会に来場いただいた方の感想です。
忘れがちな「何か」を思い出し、ガツンと頭を打たれました。
存在を認められることが、こんなにもうれしいとは
40歳でピアノを再開と同時にブログを始めました。何より驚いたことは、PTNAステップや発表会に参加するごとに、ホールやホワイエで面識のない方から、「鍵盤うさぎさんですか? ブログ、読んでます」というお声がけをいただくこと。
そんな時はいつも、「驚き」(え!)、「恐縮」(すいません、つたない演奏で) 、「うれしさ」(ありがとうございます)の3つが混ざった甘酸っぱい想いで、胸がいっぱいになります。
これは、アブラハム・マズローが提唱した欲求5段階説における「承認欲求」の充足によるものでしょうか。
私は大人のアマチュアや同門の出身者等、ピアノ仲間には恵まれている方だと思います。マズローがいうところの「社会的欲求」(集団に属したり、仲間が欲しくなったり)には、十分満たされています。
それでも、ピアノは一人で演奏することが多い楽器ですので、「たかだか中高年の趣味。私がピアノを弾かなかったところで、誰かが困るものでもないし」という思いが、しばしばよぎります(40歳を過ぎてピアノを再開した当初は、そんな想いはなかった。家にアコースティックピアノも防音室もなかったので、ただただピアノに渇望していたな)。
ただ、今日は上の方の感想を拝見し、リアルであれネット上であれ、鍵盤うさぎの存在を認識してもらうことは、これほどうれしく、ありがたいものなのか!と、改めて思いました。
読んでもらえる“縁”を大切にしないと
ブログは自分自身の部屋。「ブログで稼ぐには?」とか「ブログで集客するには!」とか、ブログ論が盛んですが、私は「正しいブログのあり方」などないという考えの持ち主です。訪問者数、収益、ブログランキングサイトの上位を目的にすると、率直にいってしんどいですよ。
ただ、どこかで誰かが読んでもらえる。その点、いやその“縁” を、決して忘れちゃいけないと反省しました。自分の個室だけど、誰でも入れるように扉をいつも開けているわけですからね。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません