2015年夏のコンクール結果を振り返る
本選を観に行くと、受付で一次・二次予選の講評をもらえます。また、本選後の懇親会では、審査員である辛島輝治、北川暁子両東京藝大名誉教授に、講評を見ながら直接ご意見をお伺いできます。これが、国際アマコン一番の魅力。
逆にいうと、予選を通過するしないに関わらず、本選に出かけてこそのアマコンなわけで、今年はどうも尻切れとんぼに終わりました。
バッハは典型的な崩れ方だった
さて、今年は昨年に続いてA部門2度目の挑戦。楽曲は一次予選をモーツァルトの「アダージョ ロ短調 K.540」、二次予選をバッハ「平均律クラヴィーア曲集第2巻 第24番 ロ短調 前奏曲」とモーツァルト「アダージョ ロ短調 K.540」で臨みました。
一次予選はまずまず満足のいく演奏でした。ところが、二次予選で、バッハが先頭わずか2小節目でいきなり崩壊。二度、弾き直しをしてしまいました。頭が真っ白。まぁ、本番でバッハが崩壊するのは初めてじゃないので、動揺しつつも、開き直って最後まで演奏はしましたが。
バッハのポリフォニックな楽曲で左手が暗譜落ちするという、典型的な崩壊パターン。左手だけで徹底的に歌えるようにするという対策を講じてはいました。それに当日、体調がとても悪くて緊張どころではありませんでした。いやはや、本番の空気というのは怖いものです。
あえて原因を挙げるなら、アマコンに参加するのを決めたのが一次予選のひと月ほど前、消印有効の締め切り日でした。いつもは予選前の数か月で3度ほど参加しているリハーサル「朝練」も、今年は一次予選後の一度しか参加しませんでした。
また、昨年通過できなかった一次予選に絞り、二次予選のことは考えずにいました。本格的にバッハの「解凍」に取り掛かったのは一次予選通過後、二次予選の一週間前でした。バッハの平均律 第2巻 第24番は、以前、発表会で弾いた楽曲とはいえ、時間不足で芯まで「解凍」できなかったのかも。
講評を読んで「響き」に自信を持った
コンクールというのは演奏終了後、よくできたところよりもダメだったところの方に思考がフォーカスしがち。二次予選終了後、「あぁ、バッハねぇ」という残念な気持ちが心の奥の方にこびりついていました。
ところが講評を読むと、過去5回のアマコン参加の中で一番高い評価な気が。アマコンの講評はピティナのグランミューズ部門の講評と違って、「真摯な姿勢に打たれました」「優しい音色に癒されました」といった“励ましの声”はなく(私の経験上ですが)、ストレートによい部分と悪い部分を指摘されることが多いです。それだけにテンションが上がりました。
下はモーツァルトの講評から抜粋。
辛島輝治先生「とてもよく弾いています。さらに透明な音に挑戦してください」
北川暁子先生「モーツァルトはよい響きでした」
佐藤俊先生「丁寧にテンポ感もよく歌われていました。全体のバランスは見事です」「持ち音は大変よい」
山城浩一先生「よいテンポだと思いました。音色も適切な感じがしました」「とてもよい響きでした。スタイルもよかったです」
一方、バッハの講評の抜粋。
辛島輝治先生「フレーズをまとめることを考えてほしい! リズムを上手に使って曲の構成を演奏してほしい」
北川暁子先生「バッハは短いモティーフの組み立てからできています」
佐藤俊先生「弾き直しは惜しい。左手を完全に暗譜できるとかなり安全になります」
山城浩一先生「よい響きだったと思います。少々、雑念が入ったのが惜しい感じがしました」
「あぁ、バッハの仕上がり不足がすべてだったな」と深く認識しました。
一方、モーツァルトは師匠から1小節単位で厳しい指導を受けたこともあり、響きに自信を持つことができました。「美しい響き」こそが私の目標であり、師匠のこだわりでもあるので。
期日まで申し込むのを迷いに迷いましたが、参加してよかったです。「方向性は間違ってなかった」というのが、今年の振り返りであります。