プロ・アマ二元論のアブない落とし穴
FacebookのウォールやTwitterのタイムラインを追いかけていると、しばしばプロ・アマ論がシェアされてます。プロ・アマ論というのは、みんなが気になるテーマなんですかね。
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ただ、いつも私が気になるのは、ほとんどの記事が「アマチュア」=「プロになれない人」「技能で生計を立てられない人」という定義から始まっています。「アマチュア(Amateur)」というのは「愛好家」という姿勢や生き方を指す言葉であって、「プロ」との間に上下関係はないし、決して二元論ではないと私は思っています。
100歩譲って「技能で生計を立てられる人」という定義づけると、プロスポーツ団体への所属、国家資格(会計士、医師、旅行業務取扱管理者)等、社会的に認知された境界線がある職業以外は、「プロ・アマ」の境界線があいまいになるという問題が生まれます。
だって、家計のプライマリーバランスとライフスタイルは人それぞれですから。
一人暮らしと家族五人では損益分岐点が変わりますよね。収入と生計を基準にすると、「一人暮らしならプロピアニストですが、家族ができてアマチュアピアニストになりました」という論理にならざるをえないです。
何ももってプロのピアニストとするのか? ピアニストの国家資格もありませんし、演奏だけで生計を立てられる人って、日本でほんの一握りでしょう。
じゃ、たとえば、私が毎日一生懸命ピアノを練習して、いろんなピアニストの演奏会のレビューを書いて、このブログが1ヶ月1000万PVくらいの閲覧数になると、広告で毎月70万円くらいの収入が予測されます。で、会社を辞めると、私は「プロの音楽家」でしょうか。なんか違いますよね。
私の本業であるインフォメーションテクノロジー業界では、基盤であるさまざまなソフトの多くは、無償のオープンソースとなっています。要は直接的な対価を得ず、ボランタリーな姿勢を持つエンジニアたちにより開発されています。ウェブサーバソフトウェアの「Apache」、データベースの「PostgreSQL」、プログラム言語「Ruby」、このブログの基盤である「WordPress」等。
じゃ、彼らを動かしているモチベーションは何なのか。それは一流の「アマチュアスピリッツ(愛好家精神)」だと思うのです。
結局、収入と生計を基準に、「プロであるか? アマであるか?」の二元論を追求すると、どこかで実情と食い違って「アブない根性論」に陥ってしまうと私は思っています。特に芸術においては。
何度かこのブログに書いていますが、プロとアマというのは「臨む姿勢の違い」というのが私の考え方です。
【音大生の就職】プロとアマに境界線なし?(2010/7/27)
相手と自分の利害が対立したとき、自分の利害を優先してよいのがアマチュア。相手の利害を優先しなければならないのがプロフェッショナル