アマコン練習会で村上春樹が語るジャズに納得
国際アマチュアピアノコンクール、今年は参加するかどうか決めかねています。第一次予選が7月上旬なので、私の場合、なかなか練習時間が確保できないので、コンクールに出す曲は5月にはある程度出来上がっていないと厳しいです。コンクールよりも、ちょっとレパートリーの幅を増やしたいと思ったりもしてます。
一昨日土曜は、ちょうど一週間後に紀尾井ホールで50周年記念演奏会を控えているので、リハーサルとして練習会に参加しました。久しぶりに弾くベーゼンドルファーインペリアル。やっぱりいいですね、ベーゼンは。とても気持ちよい30分間を過ごしました。
紀尾井ホールで演奏する二曲を、二度弾いて持ち時間は終わりました。全体の構成はできあがっているので修正するところはありませんが、ラモーの装飾音がうまく入らず苦戦しました。自宅ではアップライトピアノなので、きれいなトリルはグランドピアノで練習するしかないことを実感。残り一週間、スタジオを借りて練習することにします。ここの気づきがあったことは大きかった。
最後に練習する方が50分間ほど演奏されたので、後半20分ほど、カバンから村上春樹のエッセイ『意味がなければスイングはない』を取り出して、読書させていただきました。ドビュッシーの「ピアノのために」の生演奏を聞きながら、村上春樹を読むという極上のひとときでした。
そのエッセイの中にウィントン・マルサリスについて書いた章があり、深く共感できる一節がありました。
(チェット)ベイカーの演奏はまっすぐ心に届くのだ。たとえよれよれでも、ぼろぼろでも、その音楽は不思議に僕らの胸を打つ。なぜならその音楽には、チェット・ベイカーという一人の人間の生き様(あまり好きじゃない言葉だけど、あえて使う)が、ぽたぽたしたたり落ちるくらい潤沢に含まれているからだ。客観的に見れば、一般的に言えば、それは決して優れた音楽とは言えないだろう。しかしそういう音楽のあり方も、ジャズという音楽のひとつの重要な力源なのである。
初めてウィントン・マルサリスのトランペットを聴いたのは、18歳の頃、ハービー・ハンコックのアルバム『カルテット』だったと思います。ウィントン・マルサリス、ハンコック、トニー・ウィリアムス、ロン・カーターという、1985年当時、最も勢いのある主流派ジャズミュージシャンたちの演奏です。とにかく、超絶技巧で気持ちよいほどに吹きまくるウィントン・マルサリスの演奏に度肝を抜かれた。これはすごい!と。下の演奏。
一方、初めてのチェット・ベイカーは、5歳年上のジャズ好きの女性から勧められて聴いた「マイ・ファニーバレンタイン」でした。第一印象は、中性っぽいアンニュイなボーカルが「気持ち悪い」でした。
まぁ、リストの超絶技巧練習曲とモンポウの「ひそやかな音楽」の違いとでもいいましょうか。残念ながら、チェット・ベイカーのボーカルのビターな味わいは10代の男子には理解できませんでした。
このブログでも何度か書きましたが、私が「よし、オレももう一度ピアノを弾こう!」と思ったのは、2007年秋のある日、とあるステップのグランミューズ部門を見学に行ったことがきっかけでした。
ピティナのステップ見学(2007/11/18)
しょっぱなはブルグミュラーの練習曲の「別れ」。ミドルエイジの女性が弾いたのだけど、ぽつぽつ詰まりながらでも、いい味わいなんだなぁ。音楽高校の学生が弾いた、リストのハンガリー狂詩曲、うまかったけど、若さゆえにちょっと重量不足。やっぱり音楽って、人生が出るな、と実感。すごく刺激になった。
今でも私の中で、ブルグミュラーの「別れ」は彼女の演奏が最高です。村上春樹の言葉を借りると、よれよれでも、ぼろぼろでも、その音楽は不思議に僕らの胸を打つ。なぜならその音楽には、一人の人間の生き様が、ぽたぽたしたたり落ちるくらい潤沢に含まれているから。
一週間後の紀尾井ホールでは、そういう演奏をしたいと心の底から思いました。はい。