カワイのグランドピアノとベルマークの思い出
昨夜は帰宅後、リビングルームでベルマークの切り取り作業を手伝いました。
まず、ベルマークについておさらい。下はベルマーク教育助成財団サイトでの説明。
「すべての子どもに等しく、豊かな環境のなかで教育を受けさせたい」。
ベルマーク運動は、そんな願いをこめて1960年に始まりました。PTAなどのボランティアで生み出された資金(ベルマーク預金)で学校の設備や教材をそろえ、さらに国の内外でハンディを背負いながら学んでいる子どもたちに援助の手を差し伸べます。 マーク集めから始まるだれでも気軽に参加できるボランティアです。
約842万世帯のPTAと、共鳴する企業や地域の人たちに支えられて助け合いの輪は大きく広がっています。
ベルマーク運動は、PTAと企業(協賛会社と協力会社)、そしてベルマーク財団がスクラムを組んで進めています。
小学生の頃、父親がPTAの役員だったので、私も率先垂範してベルマークを集めていました。マヨネーズや醤油の包装袋に印刷されたベルマークを集めて、定期的に学校に持って行ったことを覚えています。私の母校では、あらかじめ商品ごとに決められた小箱が廊下にズラリと並べられており、持参したベルマークの紙片、ビニール片を入れる仕組みでした。
一方、息子の小学校ではランダムに集められたベルマークをガサッと渡されて、自宅で保護者が仕分けする方法を採っています。これが結構、面倒。私の母校の仕組みの導入を提案したいところだけど、何だかじゃまくさいからいいや。
ところで、私が小学生だった1970年代、最も高い点数のベルマークが手に入る商品はカワイのグランドピアノでした。確か1台で100点だったと思います。ちなみに現在、コクヨの「トムとジェリー学習ノート」は1.5点。牛乳石鹸「青箱」が0.5点。東芝「LEDサーチライト」が20点。100点というのはずいぶんと価値あるものでした。
「カワイのグランドピアノ100点」という情報を知ったのは、ベルマークのカタログでした。カタログの中でも一際輝いて見えました。ベルマーク集めに積極的だった私は、次のピアノのレッスンのとき、先生宅のグランドピアノの裏側をのぞいてみました。すると、100点のベルマークが!
「この100点ベルマークを寝かしておくのはもったいない。学校に持っていかねば!」と思い、ピアノに貼られたベルマークが欲しい旨をピアノの先生に交渉しました。ところが若い独身のピアノの先生はベルマークなるものの存在を知らず、「これはピアノの保証書だから」云々と言われて断られてしまいました。「あれはベルマークなのに」と思ったのだけれど、ベルマーク運動と100点の価値についてロジカルに先生に説明することはできず、仕方なく諦めました。
河合楽器製作所は2005年にベルマークの協賛会社を脱会。あの100点のベルマークを生かせなかったのは残念無念。幼い頃の忸怩たる思いが蘇りました。
そんなことを思い出したベルマークの夜でした。