息子の修学旅行と命のバトンリレーについて
高校生の次男が先週から修学旅行でニュージーランドに出かけています。お小遣いが3万円までということで、銀行で両替をしました。生まれて初めて手にするニュージーランドドルの新札でした。
さて、先日、こんな記事を書きました。
その中で、自分にとっての「幸せ」の一番目に、「子ども、やがて孫がどんな時代であっても生き抜いていき、私一人ではできない経験を積んでいくこと」と書きました。
初めての子どもが生まれた時、どんな風な感想を持ったでしょうか? 男性・女性によって違うのでしょうか、私が最初に何気なく思ったのは、「あ、これで、オレは死んでも大丈夫だ」というものでした。
これは種を残したい、もう少し人間的な言い方をすれば「ずっと生き続けたい」という生存本能に近いものかもしれません。
太古より、ヒトは「ずっと生き続けたい」と思って、命というバトンのリレーを繰り返してたのでしょう。子どもを産まないというのは、もちろん一つの選択肢ではあります。だけど、最近「ご先祖さまに感謝」とか「ご先祖さまに申し訳ない」という言葉の意味が、ズシンと腹に落ちるようになりました(年を取ったってことでしょう)。
私は息子たちに命のバトンを渡すこと。そして、私が体験できないできなかったこと、出かけられなかったところ、なるだけ遠くへ遠くへ離れて行って欲しいと思ってます。
子どもに家業を継がせたいと思っている人たちとは、育った過程が違うからでしょうか。私はできる限り、遠くに分散して行って欲しいですね。そうすると、私がいろんなところで生き続ける気がするのです。
今回の修学旅行、1,000ヘクタールの農園を持つ家にファームステイをしているらしい。何だか自分が出かけたようで素朴にうれしいです。
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