中田喜直「雪の降るまちを」が生まれた鶴岡へ

この夏の後半は、山形県の出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の山麓で過ごしました。出羽三山への入り口となる街が鶴岡です。

鶴岡は江戸時代、庄内藩の城下町でした。市の中央に鶴岡城の城跡「鶴岡公園」があり、そこに大宝館というオランダバロック風の窓とルネッサンス風のドームを併せ持った洋風の建物があります。変わった建物なので足を踏み入れると、中では鶴岡にゆかりのある人々、作家の森敦、藤沢周平、力士の柏戸、軍人の石原莞爾等にまつわる資料が展示してありました。

中でも目が留まったのが作曲家・中田喜直の展示。中田氏自身は鶴岡の出身ではありませんが、名曲「雪の降るまちを」が生まれたきっかけになったのがこの街だったとか。

鶴岡市観光連盟のサイトで下のように紹介されています。

昭和27年は前年から大雪の年で、自作の学園歌発表のため夜遅く鶴岡駅に着いた作曲家・故 中田喜直氏(平成12年5月没)は、出迎えの地元音楽愛好家菅原喜兵衛氏の馬そりに乗り彼の家へと向かった。その夜は珍しく風もなく、雲の合い間で上弦の月が輝き、遠くは月山、近くは金峯・母狩の雪に包まれた山並みが見えた。雪の影があざやかな晩だった。月の光の中から舞い落ちてくる雪の花びらは温かい頬に触れては消えた…。

「雪の降るまちを」は1952年にヒット。それから60年、毎年2月に行われる「鶴岡音楽祭」では最後にこの曲が歌われ、中田氏存命中は自身が指揮、現在は夫人の中田幸子氏が特別ゲストとして指揮をされてます。

中田氏愛用「細幅鍵盤ピアノ」も展示されていました。

ブランドはDIAPASON。オクターブ幅が15.1センチの細幅鍵盤ピアノは、日本人の体格にマッチしたピアノとして中田氏が考案し、かつて製作されていました。初めてホンモノを見ることができました。

このピアノで、「雪の降るまちを」のほか「小さい秋みつけた」「めだかの学校」等、世紀を超える童謡が作られたそうです。

鶴岡公園内には、ガラスで作られた「雪の降るまちを」の発祥の地モニュメントがありました。鶴岡、次回は雪が降る季節にぜひ訪れたいです。


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