2014年夏、コンクールシーズン惨敗を振り返る
今年は、結局、国際アマチュアピアノコンクールを第一次予選で、ピティナコンペティションのグランミューズ部門を地方予選で落ちてしまいました。アマコンはA部門に移り、ピティナは予選奨励賞をいただいたとはいえ、最初の予選で落ちてしまうのは、いずれも初めて経験。なかなかビターな味わいであります。
高環境を生かすことができなかった
一つ悔やまれるのは、心の余裕を活かせなかったことです。昨年は仕事が本当に忙しくてコンクールどころではなかったのですが、今年は昨年の種まきが功を奏したのか、4月より自部門の業績が好調。6月下旬には上期のKPI達成が見えたので、心のメモリーの多くの領域をピアノに振り分けることができました。この高環境を生かすことができなかったのが、残念です。
ピアノを再開して七年あまり、コンクールに初めて参加した2009年頃は、夜中、子ども部屋に置いたクラビノーバでヘッドフォンを付けて練習したり、公民館でピアノを借りたりしていました。今は、夜中に練習できる防音室、オーバーホールしたアコースティックピアノ、アドバイスいただけるアマコン系友人の皆さんに恵まれ、その上、今年は仕事の余裕まであり、コンクールに臨む環境としては最も恵まれていたのですが……。
トランプで大富豪をやっていて手持ちに絵札が揃った時とか、麻雀で役満狙える配牌の時に限って、アガれないものですね。何だか最強のメンバーと言われながら、ブラジルワールドカップで一勝ができなかったサッカー日本代表のような気分です。
ピアノとの向かい方を考え直す夏
ただ、数週間前、ブログに書きましたが、「ピアノに賭ける切迫感」「ピアノなしではという切実感」、そんなハングリーさが、数年前に比べるとなくなっていることは否めません。
【告白】ピアノの響きに「切実さ」が欠けている(2014/7/2)
初めて国際アマチュアピアノコンクールに参加して、二次予選で落ちた時、本選の常連さんがこんな言葉をつぶやいてくれました。
「アマチュアのコンクールで失うものは参加料だけ」
この言葉は沈んだ気分をリフレッシュさせてくれる魔法のような言葉でした。
ところが、どうも最近、私はこの言葉に心のどこかで開き直ってしまっているのかもしれません。どうせアマチュアだし、どうせ趣味だし……と。
ピアノ、音楽とどのような距離感で向き合って行くべきなのか、夏の宿題にしたいと思います。
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