「ありがとうの歌」初めての看護師は水前寺清子だった

2017年1月17日

何ごとも幼い頃に最初に出会った体験は大きいもの。

例えばアイドル。私が初めて「アイドル」にハマったのは岩崎宏美さんでした。初めて買ったドーナツ盤レコードは3rdシングルの「センチメンタル」(1975年リリース)。


いやー、初めて萌えたアイドルが岩崎宏美ですからね。歌唱力が高すぎた。いまだ、歌唱力で彼女を超えるアイドルは現れておりません。なので私の中で孤高の存在。

で、初めての看護師(当時は「看護婦」)は?というと水前寺清子さんなんですよ。私、子供の頃、病気になると小さい近所の診療所で治療してもらってたので、病院ってところに出かけた思い出があんまりないんです。そこの診療所は老人の医師と中年のおばちゃん看護師(というよりアシスタント的存在だった)の二人だったので、ナースルームに女性看護師が詰めている状況を見たのは、小学生高学年になってからだったような気が。

なので、最初に「これが看護師!」と認識したのはテレビドラマ『ありがとう』の水前寺清子さんでした。『ありがとう』は1970年から1975年にかけて、4シリーズ放映。第1〜3シリーズは、水前寺清子&山岡久乃の母娘の喜怒哀楽、石坂浩二との恋の芽生えをテーマに、「婦人警官編」「看護師編」「魚屋編」が3つのシチュエーションで描かれていました。「看護師編」が一番記憶に残っているな。私、当時6歳。幼稚園児でした。

この「看護師編」の第48話(1972年12月21日放送)は、民放ドラマ史上最高の視聴率56.3%!! ケータイもパソコンもなく、テレビが最強メディアだった時代、2人に1人以上がこのドラマを見てたことになります。なので、水前寺清子さんの看護師姿、同世代なら必ず覚えているのでは? 勝気でチャキチャキの元気のいい姿が、脳裏に焼き付いております。

なお、ドラマの中の音楽では主題歌の「ありがとうの歌」よりも、同僚が結婚した際、病院の廊下でみんなでアカペラで歌われたすさまじく暗い歌の方が覚えているな。こんな歌。

すずかけの町に 春風吹けば 遠い思い出が 今は絵のようだ
友達よ いつもの角で さようならと 握手をしようね
たとえ離れても 忘れるものか 幸せいのる いついつまでも
友達よ 過ぎた月日は さまざまな ことがあったもんだ
鈴懸の枝も 見ていただろうね けんかしたことも あの口笛も

YouTube、検索したけれど、この歌、出てこなかった。元はイスラエル民謡なんですね。子供心に「おいおい、結婚式で歌う曲かよ、これ!」とドン引きしたことを思い出しました。はい。

しかし、当時のお母さんを演じた山岡久乃さんも、共演の乙羽信子さんも、奈良岡朋子さんも、今の私より年齢が下であることを知り、ただ今、愕然としております。


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